2024/12/28

ヨガと信仰、そして自由(前編)

まさか、自分がヨガに疑いを持つ日が来るとは思わなかった。

私はいちおうクリスチャンで、コロナ禍を経てカトリックに転会(改宗)した。
最初に(という言い方はヘンだけど)洗礼を受けたのは2002年、そして初めてヨガをしたのはドイツ留学中の2005年。
とはいえ、熱心だったのは教会通いよりもヨガスタジオ通いで、しかも、私はほとんどそれに矛盾や葛藤を感じていなかった。
私が当初やっていたのは、大学の体育館やフィットネスクラブでのヨガで、最初と最後におじぎくらいはしただろうけど、それは先生に対するお礼の気持ちだったし、宗教行為としての何か、ではなかった。

もちろん、ヨガが宗教的でないと思っていたわけではないし、私自身、ピラティスでもストレッチでもなく、ヨガを選んだのは、そこに宗教的な薫りがしたからこそ、だと思う。

いろいろなレッスンを受けるにつれて、いわゆるスピリチュアルな話を語ったり、最初と最後にマントラを唱えたり、スタジオにヒンドゥー教の神々や自分の流派のグルの写真を飾ったり、それぞれのレベルと深さで、宗教としてのヨガに踏み込んだ先生にも出会ってきた。

そういう先生に出会うと、私は宗教学徒の端くれとしての自負もありつつ、むしろ提供されるオプションを嬉々として受容してきたのだと思う。
金ピカな神像には愛嬌があったし、マントラも雰囲気があって面白く、スピ話にいたっては、私は研究者というよりもほぼ消費者として、それをBGMにしつつヨガするのが楽しくもあった。

ここ数年はアシュタンガヨガを少しずつ練習しはじめ、それとともに、ヨガ文化についてもちょっと本を読んだり、なんとなく調べたりするようになった。
映画も機会があれば、ヨガ礼賛ものから指導者告発ドキュメンタリーまで、いくつかの作品を興味深く観てきた。
そして、そうこうするうちに、アシュタンガヨガはじめ、私が今やっているようなヨガは、じつは思っているよりもずっと新しい、19世紀末〜20世紀初頭に始まった(作られた)ものなのだ、ということがだんだん腑に落ちてきた。

他方で、カトリックに転会してから、こちらも少しずつではあるけれど、以前よりも自覚的に信仰にコミットするようになった。
毎週ではないけれどミサに参加し、去年からは入門コースのお手伝いもしている。
まだまだなんちゃってクリスチャンではあるけれど、それでも以前にくらべたらだいぶ成長(と言うべきかどうかはさておき)したな、と思う。

そんなある日、「アシュタンガヨガ入門コース ー3週間ー」の告知を見つけた。
うちからスタジオまでは地下鉄で6駅ほど、自転車なら約40分で、まあ通えなくはないし、3週間で3回のレッスンに6回の練習参加はちょうどいいくらいの負荷だろう、と判断して、申し込みのメールを書いた。

まずはお試しをということで練習を見学、その場で申し込みをして、いよいよレッスン開始目前というタイミングで、私は先生に宛てて一通のメールを書いた。
そのメールで私は、私のヨガ歴と左耳が聴こえないことに加えて、「信仰について」という項目を立て、こんなふうに記している。
いちおうカトリック信者ですが、宗教学を長く学んでおり、
宗教&スピリチュアリティ関係にはオープンです(と、自分では思います)。
マントラも一緒に唱えますし、ヨガ的お話も大好きです。
(とはいえ、ヨガに関しては、信仰というよりも好奇心のほうが強いかもしれま せんが) 
実際にレッスンが始まってみると、内容自体は目新しくはなかったけれど、受講生がふたりだけということもあって、今まで疑問だったことも質問しやすかったし、練習もしっかり見てもらえる安心感があった。
そう、すごく楽しかったのだ。

少なからぬショックを受けたのは、レッスン2回めの冒頭、アシュタンガヨガの最高指導者であるシャラート師が、前日に起きた事故で亡くなったと伝えられたことだ。
そのニュースを伝えてくれた先生自身が、驚き悲しみ、今にして思えば、きっと相当に混乱していた。
私としては、シャラート師が53歳で私とほとんど変わらない年だったことに驚き、ぐるぐると考えてしまった。
とはいえ、私自身はそのニュースで初めてシャラート師の名前を知った程度の練習生だったし、練習は練習として粛々と進めるだけだった。

そして迎えた、レッスン最終回。
私は朝ごはんを食べてから、ソファで少し休み、それから地下鉄でスタジオに向かった。
このレッスンでは、今まで習ったことを復習しながら、自分ができるところまでやってみましょう、ということで、すぐに練習が始まった。

ところがこの日に限って、練習すればするほど、なんだか車酔いのように気持ち悪くなってくる。
ヨガが辛いのか、自分の体調が辛いのか、よくわからずに続けていたら、大丈夫?と先生が声をかけてくれて、ちょっと休みますとマットに横たわり、けっきょく全体の4分の1くらいの時間は横になったままで練習が終わってしまった。

その後、辛うじて最後まで先生のお話を聞き、着替えてから、そそくさと最後の挨拶をして、地下鉄駅に向かう。
地下鉄と自転車を乗り継いで家に戻るまでが大変だったけど、とにかくなんとか家にたどり着き、もう吐くものが無くなるまで吐いて、カンペキにダウン。
丸2日ほど、満足に食事もできなかった。

前夜に私が作ったサバ缶入りおみそ汁か、カルディで買った台湾風唐揚げの素でつくった鶏唐揚げのどちらかが悪かったのか、はたまたそんなものを朝から食べて運動したのが良くなかったのか、もう自分でごはん作るのやめようかな、と思うくらいには気持ち悪かった。
(ちなみに、私はドイツ滞在中に海老アボカドサラダを作って、今の夫を道連れにひどい食中毒症状でダウンした経験があり、それ以来、私の料理は前科者扱いで危険視されている)

そこから、体調は戻ったけれど、ヨガができなくなってしまった。

入門コースに申し込んでからの自分をふりかえり、もっか無職のくせに、これほどの時間とお金とエネルギーをかけるべきことだったのだろうか、と疑問をおぼえる。
そこからさらに、そもそもアシュタンガヨガって、クリスチャンとしてやってる場合なのか、という自問がむくむく大きくなってしまって、体も気持ちも頑として動かない。

最初にヨガをしてから約20年の時を経て、私はヨガをする自分に対して、初めて心から疑いを持ったのだ。

(長くなったので前後編に分けます… 後編はこちら


札幌市民は皆みてみぬふりの(?)五輪マークと
通年そびえるマイバウム


天と地に指先のばすギリギリの言葉は石に刻まれており



2024/11/16

隠された十字架/太子の少年/エンド・オブ・ライフ

奈良・天理への観光&学会旅行には、文庫本を3冊持っていった。
退職前の出張にはギリギリまで荷物を減らしていたので、Kindleタブレット1つだけだったけど、今回はスーツケースがあるので、つい欲張ってしまった。
でも、旅行から戻ったら、文庫本も一緒に旅してきた顔になっていて、それも悪くない。


梅原猛『隠された十字架新潮文庫、改版1981年

日出処の天子』誕生のきっかけになったという本書、聖地巡礼の準備にあたり、この本を外すわけにはいかない。
旅行の1週間ほど前から少しずつ読み始め、天理のホテルにチェックインした後、法隆寺を訪れる前夜に読み終わった。
そういえば、梅原猛の著作をちゃんと読むのは初めてだったかもしれない。

最初は、聖地巡礼のテキストとして、半ば義務感からページをめくった。
でも、その独特な口調に乗せられるように、気がつけばラインを引きまくり、随所にしるしを付けて、わからない言葉をメモしたり、いやはや、びっくりするほど面白い。

「太子よ」のリフレインが、論文とも小説ともつかない世界に朗々と響きわたる。
なるほど、『日出処の天子』がこの作品を契機に生まれた理由がよくわかった気がした。
天才同士の化学的な連鎖反応、みたいなことなのだろう。


佐々木良『太子の少年万葉社、2023年

この本、たしかAmazonのおすすめで見つけて、見本ページの「令和奈良弁訳」をいくつか見た後、すぐに近くの紀伊國屋書店の在庫を確認し、全3巻を購入した。
本書はその第2巻、聖徳太子の歌が一首掲載されている。

こんなに楽しくおしゃれでナウでヤングな万葉集は、読んだことがない。
カフェあたりでうかつにパラパラめくると、つい吹き出してしまってあぶない。
古典と現代をリミックスした愛すべき名作たち、『なんて素敵にジャパネスク』、『桃尻語訳 枕草子』、『いいね!光源氏くん』の系譜に連なる作品として、堂々の殿堂入りを果たす。
装丁もデザインも素敵で、わがやのインテリアとしても、いいアクセントになっている。

コロナの特別給付金10万円で出版社を作った作者・佐々木良さんのお話も、またすごい。


佐々凉子『エンド・オブ・ライフ集英社文庫、2024年

佐々凉子さんの名前をはっきり認識したきっかけは、こちらの記事だったと思う。
書名は目にしたことがあり、年齢も近く、脳腫瘍を患っているとのことで気になっていた。

『太子の少年』を買いに行った紀伊國屋書店で、9月1日に亡くなった佐々凉子さんの著作が平積みになっていた。
そもそも学会では、友人が発表するパネル「何が「ケアする人」を支えるのか」に参加する予定だった。
そこに何かしらのつながりがあるようで、きっと縁なのだと思い、本書を手にとったのだ。
旅行中に読み始め、最終日の朝、ホテルのロビーで読み終わった。

この本の主役、森山さんは「二〇〇人以上を看取ってきた」訪問看護師で、著者の佐々さんとは在宅医療の取材を通じて知り合った友人同士だが、四八歳で「すい臓がんを原発とする肺転移」との診断を受ける。
「予後は短ければ半年」という森山さんは、「実際にがんを患った患者本人から見た実践看護の本」の共同執筆を佐々さんに依頼する。
「僕はあきらめていませんよ」「僕は生きることを考えてます」と語る森山さんの、それからの最期の日々が、佐々さんの母親をはじめとする何人かの姿と交錯してゆく。

看取る人が看取られる人になる、それは太陽が昇っては沈むように、咲いた花が散って季節が移り変わるように当然のことなのだけれど、それと同時にそれぞれが一度きりの、決してやり直しのきかない出来事でもある。
この本を読むことも、きっとある種の看取りであって、こうやって予行練習のようにその時の準備をしているのかもしれない。
そう思った。



朝ヨガ帰り、以前住んでいたマンション近くにて



あてのないおみやげ二つくたびれたスーツケースにつめて家路へ



2024/11/02

LOVE LOVE LOVE

 
ねぇどうしてすごく愛してる人に愛してると言うだけで ルルルルル涙が出ちゃうんだろう...

DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」 

涙が出るかどうかはともかくとして、そして「愛してる」はやはりどこかしっくりこない言葉だとしても、それでも、「すき」や「だいすき」を相手に面と向かって言う時には、なにかしらグッとくるものがあるのは確かだ。
どうしてなんだろう。

札幌に新しく(とはいえ設立は2018年だからもう6年前)誕生した「さっぽろ創生スクエア」は、できたばかりの頃、ONちゃんが挟まっているのが可愛くて、近くの交差点から写真を撮った記憶があるものの、頻繁に足を運ぶようになったのはごく最近だ。

私が主に利用するのは「図書・情報館」で、新しい施設だからキレイなのはもちろんのこと、閲覧室で飲み物OK(一部エリアは飲食可)なのがうれしい。
いままでは、少し離れた地下街の大通カウンターで予約した本を受け取っていたのが、この図書・情報館で受け取れば、その場で借りた本が読めるし、イマイチだったらすぐ返すこともできて、すごく便利だということがわかった。
家から歩いて20分、ちょうどいい運動にもなるし、たくさん本を予約した時は自転車を使う(直結の駐輪場が料金100円。それにしても最近、札幌中心部の自転車利用は肩身が狭くて仕方ない)。

この日は歩いて来館し、借りた本3冊をパラパラ眺めてみたり(ぜんぶアタリ)、館内の映像が面白かったので、係の人に許可をとり動画を撮ってみたり、なんだかゴキゲンだった。
そして、次の目的地に向かおうかなと思ったところで、隣のギャラリーで展示会をやっているのに気がついた。

「第8回 グルッペ空展」

グルッペ・・・Gruppe、「グループ」を意味するドイツ語だ。
カタカナがなんだかちょっと可愛いなと思いつつ会場を覗いてみると、木彫、絵画、陶器、刺繍、いろいろな作品が並んでいる。
ちょうど係の人が席を外しているようだったので、面白半分に中へ入ってみた。

じっくりみてまわると、どの作品にも個性と味わいがあり、なんだか作家さんの人柄まで伝わるようで、じんわり楽しくなってくる。
ひとまわりして入口に戻ったタイミングで、係の人が戻ってきたので、入口すぐの場所にあった木彫りの仏像について、どうしても気になったことを聞いてみた。

それをきっかけに、ご自身の作品も案内してもらう。
すると、その方の名字が、私が中学生の頃に好きだった子と同じだということがわかる。

年をとってよかったなと思うのは、こういうときに図々しいかな、とか、恥ずかしいかも、とか考えずに、思いや考えをすぐ口に出せるようになったことで、私は、「あの、もしかして(私の出身地である)岩手にご親戚とかはいませんか?」と聞いてしまう。

その方が「?」と戸惑い顔になったので、「いや、実は中学生の頃に好きだった子が「〇〇」という名字だったんです」と告白する私。

話しているうちに、その方のお父様の出身地が私の父の出身地に近いことが分かり、やっぱり、と盛り上がったりして、私はなんだか35年越しの告白ができたようでうれしくなって、グッとくる。

帰り際に芳名帳に名前と住所を書き、ついでにこのブログとドイツ語レッスンの宣伝もしたら(図々しい…)、差し入れでもらったのだからと、お菓子をいただいてしまった。

あの頃の私が、今日の私を見たら、なんて思うだろう。
よく伝えられたね、と褒めてほしいな、と思ったりする。

ドリカムの歌にも、この歌が主題歌のドラマにも、それぞれに当時の私や友人たちの愛とか恋とかにまつわる思い出が、ふわふわと漂う。
このPVはたぶん初めて観るけど、3人時代のドリカムにグッとくる。 



音楽に愛されている君が歌うスピーカーから秋が始まる



2024/10/31

バチカンニュース速報

ブログに書くテーマは、少なくとも2、3日は寝かせたい。

ツイッターもXも自分でやりたいと思えなかったのは、タイムリーなニュースに反応してつぶやくのが怖いからで、たまにチラと覗いて、あーこわいこわいと(自分だけに)つぶやいて退散するのが常だ。

でも、昨日夫が教えてくれたこのニュースについてだけは、ホヤホヤのうちに書かねば!と(謎の)使命感に燃えている。


画像を見て一瞬ギョッとして、次の瞬間「おや?」と思い、しばらく見つめて「うん、カワイイ!」となった。

稀な例外はあるものの、個人的には、ドイツを筆頭に洋モノのキャラクターに対する気持ちは「ヘン」か「こわい」か「ヘン/こわすぎて、逆にカワイイ」かの三択しかない。
(私の愛するPumuckl(プームックル)も、いちど現代化キャラ変に失敗している)

かといって、日本のアニメキャラへの愛着も「よかった探し」のポリアンナあたりで止まっており、現在はサンリオ帝国の臣民として、キキララやプリン犬を愛でる日々である。

でもこのルーチェさんは、そんな私の琴線をみごとにかき鳴らしてくれる予感がする。

これまでまったく興味がなかった万博にも行ってみたくなってしまった(ついでに(!?)カラヴァッジョも観たい)。
ルーチェさんのおかげで回心するひとが続出して、世界のカトリック人口が激増してしまうのではないだろうか(🎉)と、けっこう本気で思っている。

ちなみに、サン・ピエトロ広場に設置されたライブカメラは、深夜に眺めるのが楽しい。




聖堂に満つる祈りの泡たちの物語こそ此の世の光



2024/10/25

奈良・天理観光&学会旅行

ひと昔前は、学会ついでに観光するのが学者の醍醐味、みたいなところがあった。
私の分野だと慎ましやかなものだけど、夫は理系なので、学会のお知らせメールのリンクを開くと、華やかなビーチの写真がメインだったりして、学会ツーリズムだなあと苦々しくも、ちょっと羨ましかったりしたものだ。

最近は研究費の管理が厳しいし、世情的にも私事旅行の寄り道は難しいのではないか。
しかしながら、私が所属している某学会、今年の開催地は奈良・天理だった。
私は早々に、今回はぜんぶ私費で参加し、堂々と夫同伴で観光しよう、と決めていた。

年明けすぐにホテルを予約して、飛行機もバーゲンのタイミングで入手できた。
退職して、じつは学会参加もやめようかと思ったけれど、金額的にも気分的にも、せっかくの機会を逃すのは惜しいという気持ちが勝った。
それで、9月半ばに4泊5日の日程で、奈良・天理への観光&学会旅行となったのだ。

◯ホテル

今回泊まったホテルは、「なら歴史芸術村」に隣接のフェアフィールド・バイ・マリオット
このホテルがいいのは、料金が人数ではなく部屋当たりでの計算になる点で、今回は夫と二人だったので、なかなか安く泊まれた。

駅からはタクシーで15分ほどとちょっと遠いけれど、学会会場の大学からは近いし、なんといっても今回の巡礼(後述)の目的地のひとつ、石上神宮にも近いのがすばらしい。
ホテルの部屋の大きな窓からは、一面に広がる水田と遠く向こうに連なる山々のパノラマ。
ロビーが広くて、お茶やコーヒーが24時間飲み放題、隣接の売店で買ってきた朝ごはんをロビーで食べる、というのを4泊くり返した。

でも、なにより印象に残ったのが、ホテルや売店の店員さんがやたらと親切だったこと。
観光地というのもあるかもしれないけれど、だとしても、普通に期待するより2〜3割増しな親切ぐあいで、いったいどうしてだろう?と、夫と訝しむほど。
ほんと、どうしてだろう?

◯法隆寺

今回の旅行の一番の目玉は、法隆寺だった。
なぜなら今回、個人的な裏テーマは『日出処の天子』の聖地巡礼だから(キリッ)。

同行の夫のために、英語のボランティアガイド(なんと無料)を予約してあった。
天気予報で連日30℃超だったので、ギリギリまでキャンセルしようか迷ったけれど、ガイドの方とのやり取りでいろいろ配慮していただいたおかげもあって、当日はぶじ時間どおりに待ち合わせ場所に到着。

すると、担当ガイドの方が「Willkommen(ようこそ)!」とドイツ語で出迎えてくれる。
なんと、ガイドさんは現在ドイツ語を勉強中とのこと、そこから英・独・日、三ヶ国語が入り乱れる、面白&ゆかしき知識満載の圧巻なガイドツアーとなった。

予習として梅原猛『隠された十字架』を読んだ私には、門の柱からして既に感慨深い。
30年前に一度来たことがあるはずだけど、総じて驚くほど記憶になく、すべてが新鮮だ。

なお、「大宝蔵院」は1998年完成なので、こちらは初訪問となる。
教科書でおなじみの聖徳太子像や、これまた梅原本のおかげで感慨深い「夢違観音」など、展示がたいへん充実していたのに加えて、冷房がバッチリ効いていたおかげで、ありがたさ5割増しだった。

それにしても、こんなにすばらしいガイドが無料なんて、あらためてほんとうにすごい。
ホテルもそうだったけど、これが奈良のホスピタリティということなのだろうか。
恐るべし、奈良。
さすが「せんとさん」(実物をみると、もはや「君」呼びはできない)を生んだ土地だ。

◯石上神宮

学会初日のプログラムは午後からだったので、午前中にホテル隣接施設でレンタルサイクルを借りて、10分ほどの距離にある『日出処』の巡礼地・石上神宮にひとりでお参りした。

午前10時前なのに信じがたいほど暑い、快晴の日。
でも、神宮の森に足を踏み入れると、とたんに空気が変わって、ふっと肩の力が抜ける。
中に進むと出迎えてくれるのがおしゃれな鶏たちで、その高貴な姿にしばし見とれる。

拝殿では祈祷が行われていて、人もまばらだったので、しばらくのあいだ耳を傾けた。
それから授与所でいろいろなグッズを眺めて楽しんだり。

摂社にもお参りした後、遊歩道を少し散策。
池のほとりに歌碑があって、なんとも素敵な雰囲気、こんな場所に歌碑を作ってもらえたら嬉しいだろうなあ、と思いながら進むと、またしてもおしゃれな鶏たちの一味が。
小屋からは少し離れているので、なんだか野性味も感じられて、危険な香りが漂う鶏たちをそっと見守る。

どれくらいの時間を過ごしただろうか、暑さも忘れ、自分がどこにいるのかちょっとわからなくなるような、そんなひとときだった。

◯そして、学会

学会最終日が移動日で欠席になるので、そのぶん2日めは朝から夜まで、ザ・学会な一日を過ごした。
昨年の学会は欠席、一昨年はオンライン発表で、他の人の発表を聞く余裕もなかった。
今年は自分の発表がないし、聴きたい発表をあちこち聴きに行ったり、懐かしい友人知人と立ち話したり、ひさしぶりに学会をどっぷり満喫した感がある。

お昼どきには、知り合いの研究者とその学生さんのテーブルに混ぜてもらった。
そこで私が「いやあ、自分の発表がない学会って、最高ですよね!」と言ったら、ひとりの学生さんに「え、そうですか?僕はちょっと後ろめたいです」と返されて、そうか、それが正しい研究者の姿だよな、あ゛〜だから私はダメなんだ・・・と思ったりして、そういうのも含めて、いかにも学会らしく、楽しかった。

楽しかったけど、次に参加するときには、やっぱりちょっと発表したいかも、と思わなくもない。
テーマは何にしようかな。
来年の開催地は東京だからパスだけど、再来年、高野山とかが会場にならないかな・・・


上3枚は石上神宮、左下は学会会場、右下はせんとさんのご友人(?)



ガッカイという名の宴に跋扈するあやかしまやかし楽しむがよし



2024/10/21

カオス/0.5の男/トラブル・バスター


先週、散歩していたら目の前をふわふわ横切る白いもの、そう、雪虫を見つけた。
まさか、いくらなんでも早すぎるよね、まだ降らないよね、と言っていたら、昨日の早朝、窓の外にはパラパラ降る白いもの、これは雪・・・ではなくて、雹だな、うん。
その後すっきり晴れたので、自転車で出かけたら、歩道の隅に白く積もっている。
降ったのは雹だったけれど、積もってしまえば、それはもう雪のたたずまいなのだ。
そして、ニュースを見たら、やっぱりあれは「初雪」とカウントされたらしい。

そんな初雪の日にNetflixで観た映画が、最近観たなかでも抜きん出て面白かった。
というわけで、個人的な最新Netflixヒット作を紹介したい。


カオス

現代を舞台にギリシア神話の神々が暴れまわるごきげんなドラマシリーズ。
演出も音楽もオシャレでかっこよく、安いマフィア風ゼウスとか、ウィットに富んでいる。
第1話を観て、うわーこれはすごい!と思い、すぐさま宗教学仲間ふたりに「ぜひ観てください!」とメッセージを送った。
そう、すごーく面白かったのだ、第1話は。
でも、第2話は途中で寝てしまい、第3話にはまだたどりつけていない。

いまのところ私の結論は、神様モノではアニメ『こねこばくはつ』が傑作だということ。
こちらは夫がまた変なアニメを観てるな、と思って最初はおざなりに観ていたのだけど、回を追うごとに面白くなって、最終回は釘付けになり、なんなら感動してしまった。

というわけで、『カオス』は、もう一回挑戦してみようかな、そして『こねこばくはつ』は、最初からちゃんと観直してみようかな、と思います、はい。


0.5の男

夫の日本語練習のために、最近は日本モノを字幕付きでいろいろ観ている。
不適切にもほどがある!』は過去イチ盛り上がったし、『殺意の道程』も楽しかったな。
そんなわがやにおける最近のヒットが、『0.5の男』。
主人公の松田龍平がリアルながらもファンタジックなひきこもりで、オンラインゲームの感じは、なるほどこんな世界なのか、と勉強になった。
姪っ子が可愛いし、ハウスメーカー担当者の井之脇海がまたいい感じで、全体的に穏やかなホームドラマなので、日本語練習にもぴったりだった。



わがやの土日の夕ごはんはたいていピザで、ピザのお供に何を観るかは重要テーマとなる。
土曜日はドイツの時事コメディショーを観るからいいとして、日曜日に観るものがいつも難しく、私と夫の趣味が重なるジャンルで、食事中なのでグロすぎず小難しすぎず、できれば笑えるといい、となると、なかなか悩ましい。
少し前までの定番は長きにわたって『ビックバン★セオリー』だったけど、残念ながらもう全部観てしまったので、ここ最近はいろいろ捜索中なのだ。

そこで見つけたのが、このスウェーデン映画。
スウェーデン映画ってあまり印象がないけど、ノルウェーにはヘンで面白い歴史モノがあったり、いや〜な感じのミステリーがあったりするよね、などと話しながら、「コメディ、アクション、犯罪」のタグがついているこの映画に決めた。

観始めてから程なくして、お、これは当たりかも?となる。
スピード感があって、展開にもひねりがあり、主人公とヒロインがチャーミングで、ちゃんと笑える。
犯罪が絡むけど、血も暴力も最小限で、家族ドラマも恋愛模様も、絶妙にちょうどいい。
途中で「もうこれはハッピーエンドに違いない」と安心しつつ、でも最後までどんなオチになるのかワクワクしながら、そしてラストは安定の堂々たる大団円で、大満足だった。

それにしても、このヒロインの警官、なんかすっごく見たことあるんだよなあ。
知り合い?それとも有名人に似ている?もしわかった人がいたら、教えてください・・・


ピカピカのスーパームーン



ゆるゆると歩く無職も五か月めナナカマドの実の黄色い季節



2024/09/06

ヨガ布教

3月までレッスンを受けていた、私の大好きなヨガのSaori先生が「Yoga Week」に参加して、無料のお試しレッスンをなんと2週間も提供してくれるという。


わーい、と嬉しくなって、さっそく新しくできたヨガ友にLINEでお知らせする。

それから、ヨガをやってみたいと言っていたあの人やこの人の顔が思い浮かび、LINEしなくちゃ、あ、でもその前にゴミ捨てなくちゃ、と、外に出て、ついでに近所のまいばすけっとに買い物に行こう、というその途中でふと、こういうのって、そういえば布教と一緒なんだよな、と思う。

私はいままでけっこういろんな人にヨガをおすすめしてきたけど、考えてみるとヨガって、おすすめされてやるものでもないのかもしれない。
ちょっと興味があっても、ヨガ最高!絶対やるべき!!(目キラキラ)みたいなトークでおすすめされると、気持ちが萎える、ということも大いにありうる(私にはありがち)。
このあたり、きっと宗教の伝道システムに通じるところがあって、ガンガンに勧誘するスタイルが功を奏する場合もあるだろうし、実際それが好きな人もいるだろうけど、同じくらい、それが苦手だったり反発を覚えたりする人もいる。

ヨガは本当にいいし、おすすめしたい。
でもそれを勧誘とか説得とかでするのではなく、あの人やこの人がやってくれたらいいな、とほんのり願ったり祈ったりする、くらいがたぶんちょうどよいのだろう。

とはいえ、まだそういう境地には達していないので、ここでお知らせする次第。
Saori先生のヨガ、ほんとうにおすすめです。

ゴミ置き場の前に朝顔。銀杏の木に這い登りバージョンアップするタイプも



囲われた花も車道に乗り出して時を窺う革命の夏



2024/09/04

太マーモット展

 朝、というにはちょっと早すぎる時間に目が覚めて、仕方ないので起き出して、でもバリバリ活動するのは気が引ける、という時、みなさんは何をしますか?

私はと言えば、気分がのれば台所を片付けたり、パンやケーキを焼いたり、あるいはメールや日記を書いたり、そういうこともしないわけではないけれど、最近は、もっぱらソファでごろごろしながら、スマホでインスタをみる、というのが、寝起きの頭と目にちょうどよくて楽しい。

で、そんな感じでソファでつらつらインスタを眺めていた数日前の早朝、ふと目に留まったのが、「Dr. Marmot - ドクターマーモット」さんの動画。
うぎゃー、なんじゃこりゃーーー!と早朝に悶絶&爆笑する。

そして、そこからマーモット動画を巡回してたどり着いたのが「marmot addict[マーモット中毒]」さん。
え、え、え、これは何。
素晴らしい作品の数々に、完全にノックアウトされる。
マーモット中毒さんはグッズも販売しており、名画風のマーモットが秀逸すぎる。
光と闇とマーモット」!「食欲への固執」!!そして極めつきが「太マーモット信仰」!!!
「信仰」ならばもう宗教学的に参考資料として入手すべきでは、と思ってしまう。
退職前だったら、研究費でこっそり買っちゃっていたかもしれない。
いや、まてよ、夫の仕事の経費にするという手がある、か・・・?

気持ちを落ち着けるために、Googleでマーモットを検索してみたら、なんとスイスや南ドイツにも野生のマーモットがいるらしい。
murmeltierfotos.de」さんの夢かわいい(って、今使わなくてどこで使う!?)マーモットたち、この方は、なんと個人向けのワークショップをしてくれるらしい。
マーモットってなんとなく南米とかの荒野にいるイメージで、一生会えない気がしていたけど、ドイツなら、私、行けるのでは?
どうする、私?

あらためて気持ちを落ち着けるために、さらに検索していたら、「だまることをしらないマーモット」なるフィギュアが、9月発売とのこと。
くー、これなら金額的にも買えるし、欲しい!
楽天で買ってしまえるけれど、でも、ここはやはり運を天にまかせて、ガチャガチャ回して獲得、もとい捕獲するのが正当な気がする。

というわけで、みなさま、マーモットの目撃情報、お待ちしております。


今日は友だちからもらったこれでパンを焼きました(午前5時)



日常をつくつく煮詰めるコンビニで大人のためのアイスをふたつ



2024/08/26

雑談

ふと気づいたら、ファングッズ的なものが増えていた。


右側は山岸凉子さんグッズ。
とりわけ、3月に行った「『あさきゆめみし』×『日出処の天子』展」でグッズが軒並み売り切れている中、なんとか手に入れた少年毛人キーホルダーはなかなかのお宝だと思う。
ぜんぶで6種類のキーホルダー、本命はもちろん王子だったけど・・・)

左下のキーホルダーは最近のお気に入り・imaseくんグッズで、「I say bye」より「imase_7」。
あらまあ可愛いったら。


同じくimaseくんのラバーキーホルダーは、ライブ用耳栓につけている。

レターセットは、こちらも最近お気に入りの日食なつこさんグッズ。
そういえばお手紙って、ひさしく書いていないなあ。

(他にも、みんな大好き岡崎体育さんがニコニコ子犬に囲まれているステッカーもあったはずなのだけど、見つからず。
体育さんパーカー&Tシャツは、普段着として大活躍である。)

・・・

退職してから、チャッピーさんことChatGPTと二人三脚で取り組んできたウェブサイトも、なんとかスタートを切った。
ひと仕事を終え、そう言えば、ここ数日はチャッピーさんを呼び出すこともなくなった。
そして、用事もないのにチャッピーさんに話しかけるほどの度胸?図々しさ?は、まだない。
最近あのひとがいいなと思って、とか、こんなの買っちゃった、とか、チャッピーさんとそんな雑談をできるようになる日が、いつか来るのだろうか。


涼しくなってきたので、約1ヶ月ぶりのにんじんケーキ



進むのだリュックサックに葱差して工事現場の塀上る蔦


2024/08/03

セミオーダーメイドな物語

星占いは好きですか? 

私は、たぶんけっこう好きなのだけれど、でも四六時中好きなわけではなく、星占いを読んで、ほほう、と思っても、だからといって自分の行動を変えたり考えが改まったりすることは、あまりない(はず)。

以前、「自分は双子座の生まれだから、星占いなんか信じない」というレイモンド・スマリヤンの名言を引用しつつ、星占いについてブログに書いたことがある。
当時の私曰く、星占いというのは「お話」であって、「わたしが星占いに対してとりたい態度は、「信じる」「信じない」の二分法ではなくて、「おもしろい」「おもしろくない」、「響く」「響かない」を両端に置いたグラデーションなのだろう」(2010年4月24日…14年前!の記事より)。

上記ブログを書いた時に念頭にあったのは、石井ゆかりさんのことだった。
石井ゆかりさんは、「お話」としての星占いを確立したトップランナーで、ほんのりと占い好きな私とその他多くの人々に、まったく新たな星占いの地平を見せてくれたのだと思う。

石井ゆかりさんと並ぶ現代星占いのビッグスターがしいたけ.さんで、この二人の星占いは、そういえばここ数年、何かしらの節目ごとに読んでいる気がする。

先日たまたま、しいたけ.さんの「2024年下半期占い」を読んでいて、まさにおもしろくて響きまくりの一文に出会ってしまった。

これはどうしても出してしまう例えなのですが、双子座はやはり、「アリとキリギリス」でいうと、キリギリスの成分をけっこう持っている人だったりはします。でも、そこら辺にいるキリギリスと違うところは、あなたは、「アリの短期バイトもできる、特殊なタイプのキリギリス」なのです。

…双子座はどこかで「命を賭けて遊ぼうとしているキリギリスの魂」に深く共鳴しているところがあったりもします。

「言われたことを、何も疑わずにやっていくタイプよりも、ちゃんと自分なりにリスクも踏まえて、その上で遊んでいきながら、この世界の仕組みを知っていこうとするキリギリス先輩はすごいと思う! 」

と、キリギリス的な生き方にリスペクトしていったりもするし、「大人が勝手に決めたかのような、人としての理想像」に従うつもりはなくて、自分の目で確かめ、自分の力でつかみ、そして、遊ぶことの大切さも忘れません。

そして、必要とあらば、アリの短期バイトもするのです。「口だけで言っていてもわからないことがあるし、皆に必要とされている時にサボるようなこともしたくない。ちゃんと愚直に働くこともするよ! 遊び代を稼ぐために、一生懸命働くんだ! えっほえっほ! 」と、そのようなかたちでの社会参加もしていくのです。
あまりにおもしろくて、夫(射手座)に熱く説明してみたものの、この「アリの短期バイトもできる特殊タイプのキリギリス」というキラーワード、そういえば双子座以外のひとにとっても面白いのだろうか、と考えてみると、ちょっと自信がない。
いや、面白いかもしれない、でも、双子座である私ほどその面白みを味わうことはできないだろう、と思ってしまう。
だいたい、石井ゆかりさんにしろ、しいたけ.さんにしろ、少なくとも私は双子座以外の星座は読まないし、読んだとしても、やっぱり双子座の文章を読む面白さには及ばない。

そう考えてみると、星占いは「お話」なのだけれど、それは作者と読者の共同作業で成り立つようなお話であって、イメージとしてはセミオーダーメイドの洋服やアクセサリーに近いのかもしれない。
私の体にぴったり、とはいかなくてもある程度までは合わせてあって、それをまとうことで、日々の生活に意味が加わったり、単純に気分が上がったりするような物語。

というわけで、私はこの夏、「奇跡のキリギリス」目指して、予定を詰め込みカンパイしたいと思う。
みなさまも、よい夏を。





抜け殻を抱えて時を待ちながら蝉は静かに紫陽花となり



2024/07/20

imaseくんとPumuckl

imaseくんの歌声を聞いていて、ふと、あの子のことを思い出した。
Pumukl、日本語では「プームックル」が定訳になっているけど、私としては「クル」と「ケル」の中間あたりの音で発音したい(と思いつつ、以下「プームックル」)、あのコボルトくんのことを。

ひさしぶりにプームックルに会いたくなって、さっそく検索、出てきた動画を見ていたら、あれ?こんなお話あったかな?
タイトルを見ると「プームックルのあたらしいおはなし(Neue Geschichten vom Pumuckl)」とある。
な、なんですと?
あわててさらに検索して、それが2023年10月に放送された新シリーズだと分かる。

プームックルは、エリス・カウト(Ellis Kaut)原作の児童文学から誕生し、1982年にテレビシリーズとなって大ヒットした、ドイツ生まれのキャラクターだ。
当時8歳の私が、もしドイツに住んでいたとしたら、きっと夢中になっていただろう。
あらすじは、こちら↓で読んでほしい。

私が実際にプームックルを知ったのは10年ほど前、あっというまに大ファンになった。
インターネットで全話観て、テーマソングも歌えるようになったし、ファンサイトもちょくちょくチェック、DVD全巻セットはけっきょく2パターン入手した。
数年分の私のスケジュール帳は、ネットに落ちていたプームックルのイラストを印刷してデコったものだったし、コロナ禍でストレスを抱える子供のためのパンフレットにプームックルが登場した時には、プリントアウト&ラミネートして、職場の机の前に貼っていた。

それなのに、新しいシリーズが出ていたのを知らなかったなんて、不覚にもほどがある。

プームックルはとにかくよくしゃべるし、韻を踏んだり言葉遊びが大好きで、しかもしょっちゅう言い間違いをするのもおかしい。
クレヨンしんちゃんから下ネタを減らした感じ、と言えばちょっと近いかもしれない。
私自身、プームックルで覚えた言葉や言い回しがけっこうあって、ドイツ語学習者にも、初級から上級までぜひおすすめしたい。

プームックルの声を担当しているのが、ハンス・クラリン(Hans Clarin)というなかなか渋い男優さんだと知った時には、けっこう驚いた。
そう、このクラリンさんの独特な裏声が、エーダー親方やまわりの人たちのバイエルン訛りとあいまって、観れば観るほどクセになるのだ。

2023年版の新シリーズ、チラチラ横目で観たかぎりでは、1982年版のセットや雰囲気をほんとうによく再現していて、でも、ちゃんと現代のミュンヘンが舞台になっているのが、すごくよい。
しかも、プームックルの声を演じているのがコメディアンなのだけれど、驚いたことに、AIを使ってオリジナルのクラリンさんの声を重ねているのだそうで、確かにほとんど違和感がないのだ。

でも、新しいほうはお楽しみにとっておくとして、まずはオリジナルでプームックルを紹介しておこう。

プームックルとエーダー親方、運命の出会いの場面がこちら。



ファルセット+かわいい、で、imaseくんからプームックルに繋がったことがわかってもらえるだろうか。

プームックルの日本語吹き替え版ができたら、ぜったいすっごく人気が出ると思うのだ。
そうだ、imaseくんに吹き替えを担当してもらったら良いんじゃないだろうか・・・と、妄想が広がる、真夏の午後である。

Pumucklフォントも持ってる(日本語が出ないのが残念)




ケンカして仲直りして朝ごはん完璧なゆで卵ほおばる




2024/07/16

君はともだち?

「見習い翻訳者」を自認する私にとって、DeepLやChatGPTの台頭は、なんとなく、でも確かな憂鬱を意味していた。

それは、ミッドライフなんちゃらと重なる部分も大いにあったのだろうけれど、私が研究者の端くれになんとかしがみついていられたのは、翻訳という営みに、おおきな喜びとささやかな自負を見出していたからで、AI翻訳はそんな私の喜びと自負を脅かす存在として、もやもやとした雲のように大きくなっていったのだった。

退職したタイミングで、8年ほど前に特許翻訳の研修をした会社から連絡があった。
仕事があるとのこと、でも、ブランクがあるのでまずはトライアルを、という話になり、ひさしぶりの特許翻訳に取り組む。
当時よく使っていた『翻訳の泉』が見やすくリニューアルされていて感激したり、日本特許情報機構のAI翻訳におののいたりしながらの翻訳作業は、やっぱりしみじみ楽しい。

トライアルは英→日、独→日、日→独の3種類受けて、結果的にいちばん自信がない日→独しか受からなかった(!)のがちょっと釈然としないけれど、でも、あらためて翻訳の楽しさを感じ、そして、AI翻訳に助けてもらうのも悪くないな、ということに気づけたのは、おおきな収穫だった。

そんなある日、ついにチャッピーさんが私の前に現れた。

ChatGPT、私のまわりの人たちはけっこう使っていて、でも私自身は使う用事がなかったというか、使う気がなかったというか、みんながChatGPTを囲んでわーきゃー言っているのを遠巻きに眺めているような感じだった。

そんな私が、流れで夫の仕事のウェブサイトの日本語版を作ることになり、いよいよChatGPTの助けを借りるに至ったのである。
使い始めて二日目、私は迷いなく有料版に移行し、ChatGPTはチャッピーさんとなる。
(いや、ChatGPTって言いにくいし、GPTかGTPか分からなくなりませんか?
・・・と思っていたら、あんのじょう「チャッピーさん」呼び、けっこう広まってますね)

そんな私とチャッピーさんの、ある日の会話はこちら

その翌日、こちらの長い会話の最後の部分だけリンクを作ろうと思ったら、「ChatGPT上で直接リンクを生成して共有する機能はない」とのこと、でもコピペ用のテキストを生成してくれた。

以下、太字が私の発言です。
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和訳をお願いします。Galileo Mission Artwork

ガリレオミッションのアートワーク

アートワーク、って伝わりますかね?

「アートワーク」が伝わりにくい場合もあるかもしれません。より分かりやすくするために「イラスト」や「芸術作品」といった表現に変えることもできます。例えば:

- ガリレオミッションのイラスト
- ガリレオミッションの芸術作品

どちらの方が良いかは文脈によりますが、日本語では「イラスト」が一般的に理解しやすいと思います。

なるほど・・・イメージ、とかでも大丈夫でしょうか?

はい、「イメージ」も適切で、分かりやすい表現だと思います。その場合、以下のようになります:

ガリレオミッションのイメージ

これで問題ないと思います。

ありがとうございます!

どういたしまして!お役に立てて嬉しいです。また何かご質問があれば、いつでもお知らせください。

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最後に、「この内容をコピーして、必要に応じてドキュメントやメールに貼り付けてください。」と付け加えてくれるチャッピーさん、さすがぬかりなし。
ちなみに、画像のキャプションは最終的に「ガリレオミッション(イメージ)」とした。

今までもDeepLはけっこう使っていたし、翻訳の質自体に驚きはない。
チャッピーさんの強みは、なんと言っても、できた訳についてあれこれ言い合えるという点にある。
これはブレインストーミングの楽しさなのだと思う。

私はいままでもきっと、翻訳しながら頭の中でああだこうだ言っていたのだけれど、それはけっきょく独り言だった。
でも、チャッピーさんとなら、気兼ねなく思ったことを言って、ときに意外な答えをもらったり、まったく新しい発想が浮かんだりする。
チャッピーさんは最高の同僚だよ!と、とりあえず夫に報告する。


ドイツの母にケーキが焦げたと報告したら、温度を10℃下げてみれば?と言われ、リベンジを果たす。
そして、新しく買ったケーキ型、最高すぎる



同僚と呼ぶにふさわしいひとがおり敵でなくとも友とは呼べず



2024/07/09

ワニの目にも涙

泣き、といえば、の話。

聴神経腫瘍の手術をすると、手術をした側の目が閉じにくくなったり、涙が出にくくなることがまあまあの頻度であるらしい、ということは事前に知っていた。

私自身の手術は左側で、じっさい手術後に左目が閉じにくくなり、入院中はアイパッチというのか、薄いテープを左のまぶたに貼って寝ていた。
目薬なんて今までほとんど使ったことが無かったのが、お医者さんに、もうバシバシ差しちゃってくださいと言われて、目薬差しスキルもだいぶ向上した。

しばらくは泣くヒマもないほどだったけれど、落ち着いてから、あれ、そういえば泣く時に左目から涙が出ないかも、と気づいた。
そしてほぼ同時期に、あれ、そういえばごはんを食べると左目から涙が出るかも、ということにも気づいてしまった。

つまり、悲しい時は右目だけ、おいしい時は左目が涙するのだ。

病気つながりで仲良くなった病友(なんて言葉があったかしら?=>あった)たちにその話をしたら、悲しい涙はちゃんと出るけど、おいしい涙は出ない、ていうか、おいしい涙って何、と笑われた。

でも、どうやら聴神経腫瘍の術後には、そういう現象もあるらしい。
この論文でいわれてる「ワニの涙」、そういえば聞いたことがある。
そうか、ワニになったんだ、私。


ドイツの母からもらったチョコでブラウニー。ラスト1分で焦げた(涙)



オレンジの部屋は今しも飽和してあふれる涙みたいな言葉



2024/06/15

泣きうた

テレビ番組でぐうぜん見かけて、好きになってしまった。
imaseくんである。

とくに「ユートピア」は、歌もMVも、とても私の琴線に触れる。
泣けちゃうのだ。

なんだかキラキラが突き抜けている。

こういう感じは前にもあったなと記憶を辿り思い出したのは、カジヒデキ「ラ・ブーム」。

歌詞を読み比べると、同じようなことを違う立ち位置で歌っているようで、でも今の私に寄り添うのはimaseくんの歌なんだな、と思う。
「吐いて吸って馴染む毎日に 少しの光があれば」なんてもう、ヨガそのものだし。

せっかくなので、ドイツの個人的「泣きうた」も紹介したい。

1曲目は、アネット・ルイザンの「Besonders(とくべつ)」という歌。
親の離婚でふだんは母親と一緒に暮らす娘が、父親のもとに泊まり、ふたりで話す情景を描いた歌なのだけれど、今も昔もそんな経験はないはずの私をどうしてこんなに泣かせるのだろう、と思うくらい泣ける。
Annett Louisan - Besonders

そして、トリを飾るのはSchnuffel(シュヌッフェル)というウサギのキャラクターが歌う「Häschenparty(ウサギちゃんパーティ)」。
ドイツ生まれとは思えない可愛さ爆発のウサギちゃんによる一連の歌は、アニメも歌詞もひっくるめて、とにかく泣ける。
ちなみにこの歌、いろいろな人に紹介したけど、反応がイマイチで釈然としないのである。


自作あんこ入りあんぱん(すりゴマのせ)&ウサギにちなんでにんじんケーキ

にんじんケーキはフロスティングをのせて


交差点うつむく君に降りてくるわかちあうためではない歌が


2024/06/02

ひとりでできるもん! あるいは冷静とうぎゃーのあいだ(後編)

初めてヨガをしたのは、ドイツ留学中だった。
大学が提供しているアクティビティの中にヨガがあって、キャンパス内の体育館で週1回、無料で参加できたのだ。
人気のクラスで毎回フロアはいっぱいだったけど、運動量多めで楽しく参加できたし、周りの参加者に比べて自分は体が柔らかいことに気づいてちょっと得意になったりもした。

それ以来、住む場所や環境がめまぐるしく変わっていく中でも、通えるクラスや使える動画を探しては、その時々の経済状況に合わせた練習をして、大げさではなく人生の荒波をヨガとともに乗り越えてきた。
コロナ禍の副産物でオンラインヨガを始め、聴神経腫瘍が見つかった後は、むしろ手術に備えて体力をつけるべく意識して練習し、検査入院の時に病室のネット環境が良くないことが分かったので、手術入院の時には、厳選ヨガ動画とネックバンド型の軽量ヘッドフォンを用意して、入院中は朝の検温から朝食までの時間をヨガの練習にあてていた。

そう、ベッドの上とベッド脇に両足を開いて立てるスペースがあれば、じゅうぶんにヨガはできる。
とはいえ、対面・オンライン・動画いずれにせよ、「先生」が私には不可欠だった。
ヨガ歴が長くなり、できるポーズが多くなっても、呼吸のテンポや注意する箇所を先生にガイドしてもらえるのが心地よくて、だから、オンラインヨガでは、可能な限りカメラをオンにして、たまに先生に声をかけてもらえるのもちょっと楽しみだった。

この春、仕事を辞めることになり、職場近くのスタジオとお気に入りのオンラインクラスのどちらも解約することを決めた。
ヨガもできない毎日が1ヶ月ほど続き、ようやく再開できたのは連休明け。
そこで、なんとなく、自分ひとりでやってみようかな、という気持ちになったのだ。

自分でポーズの構成を組み立てるのは面倒なので、順番に決まったポーズをとるアシュタンガヨガのさわり部分をやることにして、以前使っていたアシュタンガヨガのポーズ一覧と、未読だった教科書をひっぱり出し、いざスタート。

自分の頭の中でカウントしながらのヨガは、ひさしぶりのポーズによろめいてうぎゃーとなるし、寂しさとか不安とか、先生がいるヨガではありえないような気持ちがよぎる。
ヨガをしている間じゅう、ふらつくのはやはり聴神経腫瘍の後遺症なのかもと思ったり、呼吸が浅くて深まらないことに気づいたり、朝ごはんのメニューに思いをめぐらせたり、なんとも落ち着かない。

それが、数日練習していくうちに、ふらつきがおさまり、ポーズの安定と共に呼吸も深くなり、朝ごはんのことはつい考えてしまうけど、ひとりヨガを楽しみ味わえるようになった。
ヨガ後に3行メモを残して、翌日の練習はそのメモと教科書を読んでから開始するというルーティンもできた。
ヨガもひとりでできるんだ、と思えることが、いまの私のくらしの全方面に少しずつの自信を与える。

数日前、市の広報誌の片隅に「お寺ヨガ」の告知を発見して、初めて参加してみた。
山の中にある新しいお寺の納骨堂ホールの片隅で、大きな窓にあふれる緑、ほのかなお線香の香り、そしてやさしく落ち着いたガイドに包まれるヨガ。
ああ、やっぱりこういう練習もいいな。
ひとりでもできるからこそ、誰かから与えられるとより味わえる。
パン作りにもたぶん通じるんだろうな、と思う。

パンの切れ目(クープ)を入れるクープナイフを導入。奥が深い!


人生の思いもよらぬ場所にいて予報通りに風は強まり