2015/10/31

交流する思考(=言葉)たち

図書館で多和田葉子の『言葉と歩く日記』を借りた。

小説とはちがって、とてもわかりやすく親しみやすいこの本を読んでいると、ともだちの話に耳を傾けているような気持ちになる。かのじょとの会話の内容を反芻し、反芻しているうちに自分の世界が、世界の見え方が少しずつ変わっていく。

「何をするにもわたしは言語を羅針盤にして進む方向を決める」(5頁)というかのじょが進む方向は、ときに微笑ましいほど迷信じみている。

冒頭にある元旦の日記では、スイスでの年越しの様子が描かれる。スイスでもドイツ語が話されるが、スイス・ドイツ語はドイツのドイツ語とは違う。ドイツの中での方言が関西弁みたいなものだとすると、スイス・ドイツ語は津軽弁みたいなもので、ドイツで暮らして20年以上になるかのじょにも、「半分しか分からない」という。でも、そんなかのじょにとって「心配だったのはスイス・ドイツ語ではなく、橇だった」(2頁)。

東京で生まれ育ったかのじょは、ほとんど橇に乗ったことがなく、山道を橇で滑り降りるのがこわい。しかしそのこわさが橇すべりの経験の有無とは別の部分に(も)根ざしていることに、かのじょはふと気づく。

そうだ、わたしは日本語の感覚で「すべる」のが嫌なのだ。日本の受験戦争を生き抜いてきた人間にとって、「すべる」ほど嫌なことはない。(3頁)

あるいはフロリダで牡蠣のサンドイッチを食べた、というかのじょは、続けてさらりとこう言う。

「牡蠣」は「書き」と音が同じで作家にとっては縁起がいい食べ物なので、機会があれば食べることにしている。(123-124頁)

かのじょは、たぶん英語やドイツ語を使ったことがある日本人ならだれでも一度は考えるであろうような、主語をめぐるあれこれにも思いをめぐらせる。日本語なら「わたし」「あたし」「僕」「俺」といったさまざまな「私」がありうるのに、英語でもドイツ語でも「わたし」を指す言葉は一種類しかない。

でも、かのじょのこんな言葉をきくと、やっぱり言葉を職業とするひとなのだと感心してしまう。

「あたし」とか「俺」などの社会のしがらみの中で体臭を放つ日本語と比べて、ドイツ語の「ich」が無色透明なので、初めの頃は本当に三人称で自分のことをしゃべっているような感じがしてしまった。(138頁)

あるいはこんな言葉。

通常使われないような表現、例えば「青い手触り」という表現に出会うと、通常表現では活動しない左脳の前頭葉が活動すると言う。わたしは昔から「青い手触り」のような表現に出会うと大きな喜びを感じる。この喜びはわたしにとってはどんな物とも交換したくない激しい身体的な喜びであると言っても大げさではない。だから文学を選んだのかもしれない。(187頁)

おもしろいと思ったのは、瞑想についてかのじょがぐるぐると考えていくところ。

友だちの家にお茶に呼ばれたかのじょは、同席した哲学者夫婦と瞑想の話で盛り上がり、赤ワインを「飲めないのに飲んでしまった」(59頁)翌日も、さらに考え続ける。

「頭に次々と雑念が浮かんでくる自分というものを突き放して見て、その雑念をさっと水に流して」とか「息を吸いながら座骨を床にさしこんで、背筋を伸ばして、息を吐きながら身体の無駄な力を全部いっしょに吐き出して」などの文章に導かれて瞑想状態に入っていくとする。その状態には言語なしでは入れないわけだから、瞑想は言語のない世界ではなくて、無駄な言語を別の言語で追い払う作業、つまり文学と似ているのではないか。無駄な言語というと誤解を招くかもしれない。瘡蓋のような文章と言ってもいい。たとえば「自分はなんて駄目な人間なんだろう」という紋切り型に頭を支配されて現実が見えなくなってしまっている人がいる。これはいつか傷つき、もう血は流れていないのだが、瘡蓋をはがすとまた血が流れるので、いつまでも死んだ肌に過ぎない瘡蓋文にしがみついている。(60頁)

そして、かのじょのこんな言葉に、私は深く頷くのだ。

文章を物質として見る。単語一つ一つを物として観察する。単語は自分の心が外に溢れ出したものだと考えるのは思い込みで、単語はわたしの生まれる前から存在し、独自の歴史を持ち、わたしが死んでも全く悲しまずに、存在し続けるだろう。(61頁)

そういえば、この本にはたくさんの「死」が描かれている。日記が記された四か月半の日々に、かのじょは死を前にした人を見舞い、死の報せを受け取り、折にふれて死者を思い出す。この本の中でいちばん私の印象に残った言葉もまた、ある死者によって語られている。

国際交流基金の理事が来独中とのことで、ベルリンの日本大使館が大使公邸で夕食会を催し、招待してくれた。その席で、ベルリーナー・フェストシュピーレの新しい芸術監督のトーマス・オーバーレンダーさんに初めて遭い、いろいろな話をしているうちに、ふいに、「坂口恭平さんの作品、知ってますか」と訊かれ、とても驚いた。去年の暮、新宿の紀伊国屋で偶然見かけて面白そうなので買っておいた『独立国家のつくりかた』という本を昨夜ちょうど読んだところだった。その本は別の日に読んでもよかったのに、それが昨日なのだった。こういう出会いは偶然ではないのだ、と数年前エイズで命を失った知人が言っていた。我々の頭上で思考たちが勝手に交流しているのだ、と。(20頁)

日々のくらしの中でしばしば心をよぎる「偶然ではない」という思いに言葉が、しかも具体的なイメージとして、与えられているのがおもしろくて、この本を読み終えてからずっと、私の頭のうえには交流する思考たちが浮かんでいるような気がしている。




2015/09/26

なつのおもいで


大きな仕事がとりあえず終わったので、ドイツですごした夏のことを書こうと思う。


〇脱出
ドイツに到着したのは7月30日、翌朝の気温はなんと6℃で、東京で沸騰していた頭も一気にクールダウンする。
そのあとドイツの気温もぐんぐん上がって、記録的な暑さになるのだけれど、家の中ではクーラーなしでも涼しいし、森や野原からの風は気持ちいい。
夜は9時過ぎまで明るいので、夕ごはんのあとに、裏の野原の真ん中にあるベンチに座って、夕焼けをみながらビールを飲むのがお手軽な贅沢になる。


〇プラハ
約1ヶ月の滞在のあいだ、プラハに1泊、アムステルダムに3泊の遠足をした。
プラハははじめてだったので、けっこう楽しみにしていた。
ところがプラハに着いたその日は、運の悪いことに今年1番の暑さとかで、石畳も壮麗な歴史的建築物も、なにもかもが熱をもち、まるで街ごと岩盤浴場のよう。
さらに、押し寄せる熱波のような観光客にあれよあれよと押し流される。
ガイドのおじさんが、チェコ語なまりの強いドイツ語で案内してくれる街角のそこかしこに、共産主義の影がちらつく。
中世以来の街並みと19世紀にその頂点をむかえた文化が、戦争とその後の共産主義支配によって蹂躙され、転換後も観光客と資本主義に蹂躙され続けている――それが、わたしの初プラハのイメージになる。
暑さと人の波から逃れるために飛び込んだ「コメニウス博物館」が、いちばんの収穫だった気がする。


〇アムステルダム
プラハとは対照的に、2回目のアムステルダムはがぜん印象がよかった。
今回のホテルは、中心部まで歩いて20~30分ほどのオフィス街にあり、部屋も思ったよりも快適でうれしい。
(そういえば、プラハのホテルも街はずれだったけど、なんと刑務所のすぐ隣で、部屋からは鉄条網に囲まれた牢獄が見えた)
市街地まで運河沿いを歩くと、右手には可愛らしいアパートが並び、左手を流れる運河にはボートハウスが優雅に浮かんでいる。

今回のアムステルダムの個人的なハイライトは、「ユダヤ歴史博物館」。古いシナゴーグの中に作られた「宗教」部門を隅から隅までじっくりと見る。
テーマごとに置かれているベンチにはめ込まれたモニター画面のメニューをタッチすると、ビデオが再生される。
古い電話の受話器の形をしたスピーカーを耳にあてて、インタビューや古い記録映像を鑑賞する。
何人ものひとの顔を見て、その語る言葉に耳を傾けて、ふと目をあげれば高い天井のブルー、壁の白、シルバーを中心とする豪華だけれどどこか落ち着いた展示品の数々。
なんとなく不思議な気持ちになる。
敬虔、ではない。でも、厳かな、とは言えるような。
そこにあるほとんどすべての映像資料を観て、それから「オランダにおけるユダヤ人の歴史」をテーマにした展示をひと通り廻って、そしてまた「宗教」の展示室に戻る。

博物館を出て歩いてすぐのところにあるシナゴーグも見学できる。
そのシナゴーグは今でも使われているとのことで、シナゴーグを取り囲む回廊の一室にある台所から、なにやらいい匂いがしてくる。

博物館でもシナゴーグでも、最初に音声ガイド用端末を渡されて、しかるべきプレートにその本体を当てると、説明が聞こえてくるシステムになっている。
シナゴーグでは説明文のようなものはほとんどなくて、目印のあるプレートに端末本体を合わせて、聞こえてくる説明に耳を傾ける、をくり返す。
そういうアクションで、展示されているもの、目に見えるものに、独特の親しみのようなものが湧いてくるのかもしれない。

そう、ひとりでそんなふうに一日を過ごしたら、たしかに親しみが湧いてきたのだ。
街とか、人とか、過ぎ去った時間が、わたしのどこかと重なっている。


〇動物
1ヶ月の間、いろいろな動物に出会った。
裏の畑には、つがいの野うさぎが住んでいて、お散歩のときによく遭遇した。
リスを見たのは、近くのお城に隣接した公園だっただろうか。

その公園にはつがいの黒い白鳥(黒鳥?ブラック・スワン?)が住んでいる池がある。
体は真っ黒、くちばしは真っ赤で、なんともモダンで優雅なのだけれど、ある日、とんでもない姿を見てしまった。
ベンチにすわってそのスワンを見ていたら、散歩途中の犬が登場して、そのスワンの方に近寄っていく。
スワン、逃げるかな、と思ったら、二羽がそろって長い首をぐっと水面に平行に曲げて、まるで「伏せ」みたいな姿勢をとって、その犬に向かって「ブエエエー」と鳴きはじめた。
というか、最初その音がスワンから出ているとは思わず、なにかのブザーかとあたりを見回してしまった、それくらいのすごい音量の機械音。
犬よりも私が飛び上がってしまった。
あれは、一般の白鳥にもできるワザなのだろうか。


〇散歩
そして、とにかく散歩をした。
家の裏手には、牧草やらトウモロコシやらが気ままに配置されている野原が広がっていて、車の通らない一本道がどこまでも続いている。
スーパーに行く時も、ちょっと遠回りして森の中に寄り道してみる。
ファンタジー城、という冗談みたいな名前のお城がある公園も歩いてすぐだから、お散歩しながらときどきフリスビーをして、放牧中のヒツジたちの注目を浴びてみたり。
そんなふうに、たくさん歩いて、深呼吸をして、体を休めて、そろそろ元気が出てきたかも、という頃に、帰国。

出発の日、あともうちょっといられたら、と思うくらいがちょうどいいんだ、と自分に言い聞かせて家のドアを開けたら、裏の畑にいた野うさぎが、わたしを見送ってくれた。



この空もならんで歩くこの道も願えば続くと野うさぎはいう

2015/01/03

謹賀新年

11月の終わり、クリスマスを先取りしてドイツに帰省し、
12月の半ば、お正月を先取りして盛岡に帰省した。
そうしたら、本番のクリスマスとお正月は、
びっくりするくらい静かで慎ましやかになった。

お正月ボケも前倒しになったようで、
友だちとお酒を飲んで酔いつぶれるのも、
やる気が出なくてテレビばかり見るのも、
年末までにすべてすませてしまった。

そして、元旦からわが家は仕事初め。
この街に雪が降るのを初めて見た。
雪はうれしい。
なんだか、幸先がいい気がする。



床拭きの指先に染む西蔵の空舞う砂の曼陀羅の赤