2025/01/22

エクレア(フィクション)

RNRの仲間と姪Sに捧ぐ

2年ほどエクレアのことばかり考えていた。
比喩でもたとえでもなくて、文字通りの意味で、エクレアのことを。


エクレアに疑いを持ったり迷ったりしたことはなかった。
まれに懐疑的な声が聞こえることがあっても、私にとってエクレアとの出会いは衝撃的で、エクレアに出会ってしまった後では、エクレアしかない、エクレア以外は考えられない、と思っていた。
もちろん、エクレア以上のものを私自身が生み出せるとも思えなかった。
だから、エクレアを私にプレゼントしてくれた彼女には、ほんとうに感謝しかない。
彼女は、私がお礼を言うといつも照れたように話題を変え、ゆかいな話で私を笑わせた。
2年間のプロジェクトの間、彼女をはじめとする仲間たちに、私はどれほど助けられたことだろう。

でも、エクレアを主軸とする製品を仕上げるのは、ほんとうに大変だった。
自分の力の限界を思い知り、仲間たちの仕事ぶりに、ときに焦りを感じ嫉妬すらおぼえた。
同期の彼が作るオプションパーツは、社外秘の定めにもかかわらず、異常にハイクオリティだったし、先輩の彼女が仕上げる部品は多彩で美しく、検品でいくつ部品がはじかれても、文句ひとつ言わず新たな部品を仕上げる、そのスピードと技には何度も驚かされた。

そして、私自身の病気があった。
プロジェクトを一時的に離脱することで、他ならぬチームのメンバーに負担がかかることは明らかだったのに、心配しなくていいよ、と皆が心から応援してくれた。
そんな温かい応援を背に、危険な手術ではないとわかってもいたけれど、それでも、「全身麻酔で開頭手術」という字面に不安がなかったと言えば嘘になる。
だから、手術前最後の飲み会の時に、先輩の彼がそっと渡してくれたお守りが、ほんとうに嬉しかった。
彼が家族と一緒に近所の神社で買ってくれたというそのお守りは、予定よりも長引いた入院の間、ずっと病室の机で私を見守っていた。

その後、先輩たちは引退し、私はプロジェクトに復帰した。
手術後の体調を皆に気遣ってもらいながら、無理せず時々は(ズル?)休みもしつつ、ようやく製品が日の目を見た時に皆で分かち合ったあの気持ちは、確かにかけがえのないもので、もしかしてこれが第二の青春というやつだろうか、と私は思ったのだ。

3月、何人かはプロジェクトに留まり、私を含む残りのメンバーはプロジェクトを去った。
私は札幌に戻り、間もなく仕事を辞め、製品のこと、そしてエクレアのこともしばらく忘れていた。

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私には4歳上の姉と3歳下の妹がいて、それぞれ2人ずつ娘がいるので、計4人の姪がいる。
父亡き後、岩手で一人暮らしをしている母の見守り用に作った家族LINEは、姪たちを交えた総勢8名のガールズグループになった。

2022年春の岡崎体育ワンマンツアー『実写版 クッキングばぁば』の時に、家族LINEで参加希望を募ったら、姉の方の姪が手を挙げてくれて、Zepp札幌で一緒にタオルを振った。
ふたりで小樽観光もして、姪はハマっているというガラスペン、私は理想のビールグラスを探し回ったのもよき思い出で、その時に買ったゴルフボールサイズのグラスは、私のビール生活に不可欠の相棒となっている。

今年6月、岡崎体育ホールワンマンTOUR『盆テク博覧会』のツアー最終日が札幌に決定すると、神奈川在住の妹から、姪が行きたがっていると連絡があった。
私は、プロジェクトの出張でためたマイルの出番だ!と思い、東京―札幌の往復チケットを姪の名前で予約した。

偶然にもプロジェクト仲間の一人が勤める大学に通う姪は、一人旅はおろか、一人で飛行機に乗るのも初めてだというので、すこし心配したけれど、札幌で行きたいところはある?と聞いたら、「ストリートピアノを弾きたい」というので驚いた。
小さな頃からずっとピアノを習っており、数々の発表会やコンクールに出場してきたことは知っていたものの、私の妹に似てどちらかと言えばシャイで、ストリート系よりもインドア系なのだろうと思っていたからだ。

ライブ前日の12月6日、新千歳空港で出迎えた姪は、サックスブルーのコートにリュックと小さなスーツケースの素敵なお嬢さん、にもかかわらず、羽田空港にフリーピアノがあったから弾いてきたんだよ、と嬉しそうに言うので、またもや驚く。

札幌駅に着いたのは16時頃、姪がお昼ごはんを食べていないというので、早めの晩ごはんにしようと、すすきのに新しくできた商業施設へ直行する。
じつは、この施設に行くのは私もはじめてで、とりあえず札幌だしスープカレーかなとお店に向かうと、独立した店舗ではなく、フードコート形式になっていて、高校生の制服集団(こわい)がいたりでちょっとがっかり。
気を取り直してカレーを(私は瓶ビールも)楽しみ、食べ終わった後にチラシを眺めていると、なんとこのお店、全国チェーンで姪の住む神奈川にもいくつか支店があるではないか!
・・・まあ、美味しかったからいいか、と、私はビールを飲み干し、姪は楽しげに笑う。

そしていざ、すすきの名所ノルベサ(注)を目指す。
このビルの地下1階にストリートピアノがあり、まさに今、誰かが弾いているピアノがビルの吹き抜けに響きわたる。
姪とふたり肩を寄せて、先客ピアニストの演奏を眺めているうちに、なんだか私もドキドキしてくる。

しばらくして先客の女の子が演奏を終え、そそくさ荷物をまとめ立ち去るのを拍手しながら見送ると、姪は迷いなくピアノに駆け寄り、自分のリュックから楽譜を取り出す。
カレーを食べている時に、姪が自分で譜面をおこしたんだよと見せてくれた、あの楽譜だ。
「ど、動画は撮る?」と私もテンパりながら姪に聞くと、うん、と姪は自分のスマホを私に手渡し、やおら態勢を整えて、すぐに演奏開始となる。


時折はずれる音にもキュンとなる。
ああ、やっぱりエクレアはいいな。うん、エクレアがいい、エクレアでよかった!

余韻に浸る間もなく、姪はいそいそと楽譜を入れ替えて、2曲めに向かう。
ラヴェル作曲「ソナチネ」第2楽章、姪が大好きな作曲家とのこと。



たしかな「好き」が伝わる大人っぽい演奏が、すすきのの街に響く。

翌日のライブでは、最後に生「エクレア」を聴くことができて、すごくよかったのだけど、体育さんの楽曲のなかでも3本の指に入る名曲「宇宙と長野」が聴けなかったのが、すこしだけ残念だった。
長野にいる星が好きなあの子は元気かな・・・



(注)ノルベサ:すすきの近くの商業ビルで屋上の観覧車が名物。飲み会の一次会と二次会の間などに行くのがオススメ。私を訪ねて札幌に来た人はもれなく一緒にこの観覧車に乗ることになる。

なお、ノルベサ的ネーミングは道民の大好物であり、サッカーのチーム名がコンサドーレと決まった時には、私をはじめとする内地から来た学生の間に静かな衝撃がさざなみのように広がった。

また、私が友人と一緒にルームシェアをしたマンション「ラ・ムーネ・ミ」の内見をした際、不動産屋さんに「名前の由来を当てたら仲介料タダにするよ」と言われ、むちゃくちゃ考えて「フランス語かイタリア語か…」とか言ってたら、答えは大家さんの名前がまさかの「ミネムラさん」で、私と友人は「道民、なまらわやだべや・・・」と思ったのだった。


2025/01/15

あれから2年、とGoogleは言う

快速エアポートが新千歳空港駅に到着し、suica残額が100円以下だったので、チャージしておくわ、と券売機に向かう。
手提げの中を探すと、あれ・・・?まさか・・・?
いや、そんなはずは、とリュックを探る。
でも、今回は余裕もあったし念入りにパッキングしたので、リュックにいれていないことは確かなのだ。
と、言うことは・・・
いーやーだーーーー!お財布忘れた〜〜〜!!

えっと、お財布忘れました(てへ)と夫に申告すると、ピキン!と夫の顔が固まる。
あはは、コワイよー。
何か言おうと口を開くものの、とりあえず券売機でチャージしなくちゃだし、お説教は後にしよう、と考えたその流れが手に取るようにわかる表情で、黙って1万円を差し出す夫。
いや〜すみませんね〜〜と、あくまで明るく場を盛り上げる道化になってへらへらヘコヘコ1万円を受け取り、顔を引きつらせてチャージする私。

手荷物検査を通過して搭乗口に着いたのが、出発の1時間前。
あーあ、たっぷり怒られる時間があるなあと思いつつも、出発早々こんな災難にあうなんて(いや、私が悪いんですが)、これでもしかして定期検診の結果は大丈夫かもしれないと、私は少しだけ呪術的思考の渦に呑まれていた。

聴神経腫瘍の手術をしたのは2023年1月6日、今回の東京行きのちょうど2年前のことだ。

去年の定期検診は、東京出張中だったのと、前日の飲み会で飲みすぎたのとで、不安になる暇もなかったし、なんなら予約時間に遅刻して係のひとに怒られたほどだった。
今年は無職ゆえに仕事もなく、だから、準備する時間も、考える時間も、たくさんあった。
退職してからの浮き沈みを思い返し、ストレスは万病のもとだから、もしかして、と心配になり、この心配もまたストレスになるんじゃないか、と、ぐるぐる悪循環にハマるくらいの時間はあったのだ。

朝8時から採血、たっぷり30分&途中で造影剤注射のMRI、続いて先生の診察があり、机上のモニターに画像が表示されて、ひさしぶりに私の頭の中と対峙する。
えーと、と画像に顔を寄せ、うん、大丈夫だね、という先生の言葉に、ホッとする。

その後、ごはんを食べると涙が出るんですけど、と聞いてみると、先生は「ワニの涙だね」とニヤリ。
続く「僕の経験上、そうだなあ、一割くらいのひとは治ってるよ」との言葉はうれしい驚きだし、美味しくなくても涙が出る人もいるとのこと、美味しい時に涙が出るならいいのかも、とも思う。

そういえば、病院にいた時はぜんぜん涙に気づかなかったよなあ、と入院中のごはん写真を眺める。
このごはん写真、思いがけず入院が長引いて、後半はもう写真を撮る元気も無くしていたな、なんていうことも、今となっては懐かしく思い出す。
(ちなみに、この後札幌で2週間ほど入院したときもごはん写真を撮ったのだけど、すべて私の名前入りメニュー表が写っているのでここでは非公開。関心のある方は共有するので、お知らせください)

診察の後は、入院を通じて知り合った病友たちとランチ。
前回の会合から今までの出来事、不安や怒り、喜びと楽しみ、話は尽きずどんどん深まる。


いつもはアクセサリー入れにしているポーチ、
東京滞在中のお財布としてだいかつやく〜☆




換羽期に肩を寄せ合う友のゐて囀るように続くおしやべり


2025/01/08

ヨガと信仰、そして自由(後編)


ヨガができない毎日、ヨガのことを考え続けた。

インターネットで「ヨガ カトリック」を日独英それぞれの言語で調べてみると、ドイツ語や英語のサイトはけっこうヒットする。
カトリック教会の側からは、個別の聖職者などが意見を述べており、全面的な賛成というのはさすがになかったけれど、全面的な禁止や否定というわけでもなく、当然と言えば当然、とはいえ、答えを探している身としては、なんとなく釈然としなかった。

クリスチャン・ヨガで検索すると、いくつかのスタジオやYouTubeチャンネルがヒットして、やっぱりニーズはあるんだな、と思う。
おもしろいと思ったのは「Pietra Fitness」というカトリックのフィットネスプログラムで、創設者の女性は、カトリック信徒としてヨガを避けてきたが、出産後の背中の痛みに悩んでいたところ、非宗教的なヨガ・ストレッチでエクササイズをして改善した経験から、ヨガに代わるカトリック的なプログラムとしてPietra Fitnessを作り上げたのだという。
Pietra Fitnessはヨガではありません(Pietra Fitness is Not Yoga)」というページでヨガの問題点が挙げられているのも興味深い。
(が、動画や写真を見ると、これをヨガじゃないというのは何かしら無理がある気がする。)

こうして、しばらくの間いろいろなサイトや動画を見たけれど、結局どれもピンとこない。

ちなみに、この記事を書くためにチャッピーさんにまとめてもらった「カトリックとヨガの関係」はこんな感じ。
私がいろいろ調べた印象からも、そう遠くない。
カトリック教会は、ヨガを宗教的・精神的実践として行うことには注意を促していますが、身体的なエクササイズやリラクゼーションとして取り入れることは可能とされています。ただし、ヒンドゥー教由来の要素や精神性を排除し、信仰と矛盾しない形で行うことが重要です。各個人は良心や霊的指導者と相談し、自らの信仰に照らして慎重に判断してください。
※この時のやりとり全文はこちら

悶々としていたある日、教会で、「祈り」をテーマにした授業があった。

その中である信徒の方が、祈りを生活に定着させることは本当に難しい、自分も数年は試行錯誤を重ねた、と言うので驚いた。
その方は、私が転会の準備をしている頃からお世話になっている超ベテランの信徒さんで、その方に祈りを定着させるのが難しい時期があったなんて、まるで想像できなかったのだ。

じつは私自身も、祈りがなんだかうまくできないなと、悩む、ほどではないけれど、ずっと気になっていたので、そうか、ベテラン信徒さんにとっても難しかったなら、私が難しいと思うのは当然なんだな、と思えたし、じゃああんまり気負わずにいろいろ試してみてもいいのかも、という気持ちになった。

では、私自身の生活に祈りを組み込むために、具体的にはどうしたらいいんだろう?

私は物心ついてからずっと朝型人間で、朝活的なことが好きだった。
学生時代には種々の早朝バイトをしたし、その後も長編作品の読書やラテン語の勉強など、
さまざまな活動に朝の時間を費やしてきた。
でも、いちばん長く、そして楽しく続けられたのは、やっぱりヨガだった。

それならやはり、マントラの代わりにカトリックの祈りでヨガ/ストレッチを始めてみれば良いのではないか。
ちなみに、この段階になると「ヨガ」という言葉にすら抵抗を覚え始め、ヨガストレッチ、いわゆるヨガ、ヨガ的なもの…自分のための言い換えに試行錯誤していた。

ちょうど私の本棚に『教会の祈り』があったので、これを使ってみようと思いたつ。
そして、約1ヶ月ぶりのヨガ、的なルーティン。

朝、簡単に掃除をしたあとでヨガマットを敷き、その日の気分に合う香水をシュッとする。
蓮華座はなんとなく違う気がして、正座になって『教会の祈り』の該当ページを開く。
朝昼晩の祈りが毎日決められているのが便利だし、新米クリスチャンとしては、いろいろな聖句や祈りの言葉を自分の声で読むことが単純に楽しい。
お祈りが終われば、準備運動的なシークエンス、そして太陽礼拝に始まるアシュタンガヨガの基本ポーズのさわり部分の後、その日の気分に合わせて好きなポーズをいくつか。
アシュタンガヨガには含まれない、立木のポーズとか鳩のポーズとか、私の好きなポーズも好きなようにできるのがうれしい。
最後はふたたび正座になって、アヴェマリアの祈りでしめくくる。

変な感じがするかな、と思ったけれど、そんなことはぜんぜんなくて、これまで感じていた違和感とか後ろめたさのようなものが無くなり、なんだか身軽になった気がする。
入門コースの練習で注意された手の組み方や、ポーズの順番、ホールドのカウントなども、まあ別にいいか、と思える。
すごく自由だ。

それに、祈りのあと、別にアーサナ(ポーズ)をとるヨガをしなくたっていいのだ。
掃除、洗濯、料理、ごみ捨て、ありとあらゆる家事も、呼吸と共に意識して体を動かせば、ヨガになるのだから。

ヨガ、という言葉も、こうなるともう別に気にしなくてもいいのかな、と思っていたけど、あるきっかけでいい言葉を思いついた。
「ヨガ道(yoga-do)」だ。
茶道とか書道とか柔道とか、そういうノリで、ヨガ道。

というわけで、私は祈りつつヨガ道に精進することを、まずは試してみようと思っている。


術後さいしょに病室のベッドから撮った写真



見上げれば西新宿の大聖堂 朝日の中に脈打つように





2025/01/02

ゆらゆら帝国

私がゆらゆら帝国を知ったきっかけは、友人の形見分けでもらったCDだった。
彼がおもしろいと思ったものなら信頼できるな、と思ったのだ。
ゆらゆら帝国の音楽は、同じくその時にもらってきた舞城王太郎の処女作とともに、当時の記憶と渾然一体となって、いまも私の一部を形作っている。

数日前Xのツイートで、ゆらゆら帝国の「えげつないほど高音質」なライブ集の動画リンクを見かけた。

大晦日は23時におふとんに入って、ちょっとだけ眠ったけどすぐに目が覚めてしまい、いろいろ活動して、お腹が空いたので、朝6時に昨日の残りの鮭のパイ包み焼きを温め直して朝ごはん、そしたらなんだか眠くなったので、ソファをベッドにしてもぐり込む。

で、いくつか動画を見たりして、ふと、ゆらゆら帝国のことを思い出した。
新しい年を迎えるのにふさわしいかもと思い、プレイボタンをクリック。


(インタビューがむっちゃおもしろい〜)


もう、イントロからしてなつかしい。
ぜんぶ覚えているし、なんならぜんぶ歌える。
そして、CD音源だけを聴いてきたので、ライブが新鮮だ。

と思っていたら、曲目が「ゆらゆら帝国で考え中」になり、そういえば、ライジングサンで生歌を聴いたんだった!と思い出す。
「だいたい俺は今3歳なんだけど2歳のときにはもう分かってたね」のくだりで、それまでに何度も聴いた歌詞なのに、ナマで聴いたらむちゃくちゃ可笑しくて大爆笑したのだった。

ライジングサンに集まる人たちの足元に装置をつけて発電したら、すごいエネルギーになると思う!と、けっこう真顔で語っていた、彼のことを思い出す。


あけましておめでとうございます


いつだったか彼が「40歳過ぎたら感受性なんて無くなるよ」と言ってて、「いやいやいや、そんなわけないじゃん!」と、言い合いになったことがある。
あれから四半世紀がたった今、私は彼に実感をこめて言いたい。
40歳過ぎたら、中年の危機やら第二思春期やらで、感受性は爆上がりだよ!

👇この番組の38分頃〜「中年の危機」の話題、私を個人的に知る人にぜひ観てほしい。
 ここで伊集院光が話していること、これ、私です!ほんとにそうなんです。。。





四十を十年過ぎても感受性ってまだあるみたいと彼につぶやく