2025/01/08

ヨガと信仰、そして自由(後編)


ヨガができない毎日、ヨガのことを考え続けた。

インターネットで「ヨガ カトリック」を日独英それぞれの言語で調べてみると、ドイツ語や英語のサイトはけっこうヒットする。
カトリック教会の側からは、個別の聖職者などが意見を述べており、全面的な賛成というのはさすがになかったけれど、全面的な禁止や否定というわけでもなく、当然と言えば当然、とはいえ、答えを探している身としては、なんとなく釈然としなかった。

クリスチャン・ヨガで検索すると、いくつかのスタジオやYouTubeチャンネルがヒットして、やっぱりニーズはあるんだな、と思う。
おもしろいと思ったのは「Pietra Fitness」というカトリックのフィットネスプログラムで、創設者の女性は、カトリック信徒としてヨガを避けてきたが、出産後の背中の痛みに悩んでいたところ、非宗教的なヨガ・ストレッチでエクササイズをして改善した経験から、ヨガに代わるカトリック的なプログラムとしてPietra Fitnessを作り上げたのだという。
Pietra Fitnessはヨガではありません(Pietra Fitness is Not Yoga)」というページでヨガの問題点が挙げられているのも興味深い。
(が、動画や写真を見ると、これをヨガじゃないというのは何かしら無理がある気がする。)

こうして、しばらくの間いろいろなサイトや動画を見たけれど、結局どれもピンとこない。

ちなみに、この記事を書くためにチャッピーさんにまとめてもらった「カトリックとヨガの関係」はこんな感じ。
私がいろいろ調べた印象からも、そう遠くない。
カトリック教会は、ヨガを宗教的・精神的実践として行うことには注意を促していますが、身体的なエクササイズやリラクゼーションとして取り入れることは可能とされています。ただし、ヒンドゥー教由来の要素や精神性を排除し、信仰と矛盾しない形で行うことが重要です。各個人は良心や霊的指導者と相談し、自らの信仰に照らして慎重に判断してください。
※この時のやりとり全文はこちら

悶々としていたある日、教会で、「祈り」をテーマにした授業があった。

その中である信徒の方が、祈りを生活に定着させることは本当に難しい、自分も数年は試行錯誤を重ねた、と言うので驚いた。
その方は、私が転会の準備をしている頃からお世話になっている超ベテランの信徒さんで、その方に祈りを定着させるのが難しい時期があったなんて、まるで想像できなかったのだ。

じつは私自身も、祈りがなんだかうまくできないなと、悩む、ほどではないけれど、ずっと気になっていたので、そうか、ベテラン信徒さんにとっても難しかったなら、私が難しいと思うのは当然なんだな、と思えたし、じゃああんまり気負わずにいろいろ試してみてもいいのかも、という気持ちになった。

では、私自身の生活に祈りを組み込むために、具体的にはどうしたらいいんだろう?

私は物心ついてからずっと朝型人間で、朝活的なことが好きだった。
学生時代には種々の早朝バイトをしたし、その後も長編作品の読書やラテン語の勉強など、
さまざまな活動に朝の時間を費やしてきた。
でも、いちばん長く、そして楽しく続けられたのは、やっぱりヨガだった。

それならやはり、マントラの代わりにカトリックの祈りでヨガ/ストレッチを始めてみれば良いのではないか。
ちなみに、この段階になると「ヨガ」という言葉にすら抵抗を覚え始め、ヨガストレッチ、いわゆるヨガ、ヨガ的なもの…自分のための言い換えに試行錯誤していた。

ちょうど私の本棚に『教会の祈り』があったので、これを使ってみようと思いたつ。
そして、約1ヶ月ぶりのヨガ、的なルーティン。

朝、簡単に掃除をしたあとでヨガマットを敷き、その日の気分に合う香水をシュッとする。
蓮華座はなんとなく違う気がして、正座になって『教会の祈り』の該当ページを開く。
朝昼晩の祈りが毎日決められているのが便利だし、新米クリスチャンとしては、いろいろな聖句や祈りの言葉を自分の声で読むことが単純に楽しい。
お祈りが終われば、準備運動的なシークエンス、そして太陽礼拝に始まるアシュタンガヨガの基本ポーズのさわり部分の後、その日の気分に合わせて好きなポーズをいくつか。
アシュタンガヨガには含まれない、立木のポーズとか鳩のポーズとか、私の好きなポーズも好きなようにできるのがうれしい。
最後はふたたび正座になって、アヴェマリアの祈りでしめくくる。

変な感じがするかな、と思ったけれど、そんなことはぜんぜんなくて、これまで感じていた違和感とか後ろめたさのようなものが無くなり、なんだか身軽になった気がする。
入門コースの練習で注意された手の組み方や、ポーズの順番、ホールドのカウントなども、まあ別にいいか、と思える。
すごく自由だ。

それに、祈りのあと、別にアーサナ(ポーズ)をとるヨガをしなくたっていいのだ。
掃除、洗濯、料理、ごみ捨て、ありとあらゆる家事も、呼吸と共に意識して体を動かせば、ヨガになるのだから。

ヨガ、という言葉も、こうなるともう別に気にしなくてもいいのかな、と思っていたけど、あるきっかけでいい言葉を思いついた。
「ヨガ道(yoga-do)」だ。
茶道とか書道とか柔道とか、そういうノリで、ヨガ道。

というわけで、私は祈りつつヨガ道に精進することを、まずは試してみようと思っている。


術後さいしょに病室のベッドから撮った写真



見上げれば西新宿の大聖堂 朝日の中に脈打つように





0 件のコメント:

コメントを投稿

※※※コメントは承認後に公開されます。非公開を希望の方はその旨お知らせください※※※