2024/12/28

ヨガと信仰、そして自由(前編)

まさか、自分がヨガに疑いを持つ日が来るとは思わなかった。

私はいちおうクリスチャンで、コロナ禍を経てカトリックに転会(改宗)した。
最初に(という言い方はヘンだけど)洗礼を受けたのは2002年、そして初めてヨガをしたのはドイツ留学中の2005年。
とはいえ、熱心だったのは教会通いよりもヨガスタジオ通いで、しかも、私はほとんどそれに矛盾や葛藤を感じていなかった。
私が当初やっていたのは、大学の体育館やフィットネスクラブでのヨガで、最初と最後におじぎくらいはしただろうけど、それは先生に対するお礼の気持ちだったし、宗教行為としての何か、ではなかった。

もちろん、ヨガが宗教的でないと思っていたわけではないし、私自身、ピラティスでもストレッチでもなく、ヨガを選んだのは、そこに宗教的な薫りがしたからこそ、だと思う。

いろいろなレッスンを受けるにつれて、いわゆるスピリチュアルな話を語ったり、最初と最後にマントラを唱えたり、スタジオにヒンドゥー教の神々や自分の流派のグルの写真を飾ったり、それぞれのレベルと深さで、宗教としてのヨガに踏み込んだ先生にも出会ってきた。

そういう先生に出会うと、私は宗教学徒の端くれとしての自負もありつつ、むしろ提供されるオプションを嬉々として受容してきたのだと思う。
金ピカな神像には愛嬌があったし、マントラも雰囲気があって面白く、スピ話にいたっては、私は研究者というよりもほぼ消費者として、それをBGMにしつつヨガするのが楽しくもあった。

ここ数年はアシュタンガヨガを少しずつ練習しはじめ、それとともに、ヨガ文化についてもちょっと本を読んだり、なんとなく調べたりするようになった。
映画も機会があれば、ヨガ礼賛ものから指導者告発ドキュメンタリーまで、いくつかの作品を興味深く観てきた。
そして、そうこうするうちに、アシュタンガヨガはじめ、私が今やっているようなヨガは、じつは思っているよりもずっと新しい、19世紀末〜20世紀初頭に始まった(作られた)ものなのだ、ということがだんだん腑に落ちてきた。

他方で、カトリックに転会してから、こちらも少しずつではあるけれど、以前よりも自覚的に信仰にコミットするようになった。
毎週ではないけれどミサに参加し、去年からは入門コースのお手伝いもしている。
まだまだなんちゃってクリスチャンではあるけれど、それでも以前にくらべたらだいぶ成長(と言うべきかどうかはさておき)したな、と思う。

そんなある日、「アシュタンガヨガ入門コース ー3週間ー」の告知を見つけた。
うちからスタジオまでは地下鉄で6駅ほど、自転車なら約40分で、まあ通えなくはないし、3週間で3回のレッスンに6回の練習参加はちょうどいいくらいの負荷だろう、と判断して、申し込みのメールを書いた。

まずはお試しをということで練習を見学、その場で申し込みをして、いよいよレッスン開始目前というタイミングで、私は先生に宛てて一通のメールを書いた。
そのメールで私は、私のヨガ歴と左耳が聴こえないことに加えて、「信仰について」という項目を立て、こんなふうに記している。
いちおうカトリック信者ですが、宗教学を長く学んでおり、
宗教&スピリチュアリティ関係にはオープンです(と、自分では思います)。
マントラも一緒に唱えますし、ヨガ的お話も大好きです。
(とはいえ、ヨガに関しては、信仰というよりも好奇心のほうが強いかもしれま せんが) 
実際にレッスンが始まってみると、内容自体は目新しくはなかったけれど、受講生がふたりだけということもあって、今まで疑問だったことも質問しやすかったし、練習もしっかり見てもらえる安心感があった。
そう、すごく楽しかったのだ。

少なからぬショックを受けたのは、レッスン2回めの冒頭、アシュタンガヨガの最高指導者であるシャラート師が、前日に起きた事故で亡くなったと伝えられたことだ。
そのニュースを伝えてくれた先生自身が、驚き悲しみ、今にして思えば、きっと相当に混乱していた。
私としては、シャラート師が53歳で私とほとんど変わらない年だったことに驚き、ぐるぐると考えてしまった。
とはいえ、私自身はそのニュースで初めてシャラート師の名前を知った程度の練習生だったし、練習は練習として粛々と進めるだけだった。

そして迎えた、レッスン最終回。
私は朝ごはんを食べてから、ソファで少し休み、それから地下鉄でスタジオに向かった。
このレッスンでは、今まで習ったことを復習しながら、自分ができるところまでやってみましょう、ということで、すぐに練習が始まった。

ところがこの日に限って、練習すればするほど、なんだか車酔いのように気持ち悪くなってくる。
ヨガが辛いのか、自分の体調が辛いのか、よくわからずに続けていたら、大丈夫?と先生が声をかけてくれて、ちょっと休みますとマットに横たわり、けっきょく全体の4分の1くらいの時間は横になったままで練習が終わってしまった。

その後、辛うじて最後まで先生のお話を聞き、着替えてから、そそくさと最後の挨拶をして、地下鉄駅に向かう。
地下鉄と自転車を乗り継いで家に戻るまでが大変だったけど、とにかくなんとか家にたどり着き、もう吐くものが無くなるまで吐いて、カンペキにダウン。
丸2日ほど、満足に食事もできなかった。

前夜に私が作ったサバ缶入りおみそ汁か、カルディで買った台湾風唐揚げの素でつくった鶏唐揚げのどちらかが悪かったのか、はたまたそんなものを朝から食べて運動したのが良くなかったのか、もう自分でごはん作るのやめようかな、と思うくらいには気持ち悪かった。
(ちなみに、私はドイツ滞在中に海老アボカドサラダを作って、今の夫を道連れにひどい食中毒症状でダウンした経験があり、それ以来、私の料理は前科者扱いで危険視されている)

そこから、体調は戻ったけれど、ヨガができなくなってしまった。

入門コースに申し込んでからの自分をふりかえり、もっか無職のくせに、これほどの時間とお金とエネルギーをかけるべきことだったのだろうか、と疑問をおぼえる。
そこからさらに、そもそもアシュタンガヨガって、クリスチャンとしてやってる場合なのか、という自問がむくむく大きくなってしまって、体も気持ちも頑として動かない。

最初にヨガをしてから約20年の時を経て、私はヨガをする自分に対して、初めて心から疑いを持ったのだ。

(長くなったので前後編に分けます… 後編はこちら


札幌市民は皆みてみぬふりの(?)五輪マークと
通年そびえるマイバウム


天と地に指先のばすギリギリの言葉は石に刻まれており



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