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2025/12/22

倍音は宇宙に届く

先日ヨガのワークショップに参加したら、先生が最後にマントラではなく「倍音」を唱えて(歌って?)くれて、それがものすごくよかった。

私は長年ヨガをしてきたけれど、少し前にヨガができなくなった時期があり(こちら参照)、そのきっかけのひとつが実はマントラだった。

たとえばアシュタンガヨガでは、最初と最後に決まったマントラがあり、レッスンの時には、先生の後についてマントラを唱えることになりがちだ。
私もしばらくは何も考えずに真似して唱えたりしていたけど、その後、そのマントラの内容が、アシュタンガヨガの開祖とされるパタンジャリへの崇拝を表すことに躓いた。
意味の分からない「呪文」なら唱えられても、意味を知ったうえで、その言葉を「祈り」として発する、それが私にはだんだん無理になっていったのだ。

そういう経緯があっての「倍音」だったので、わ、マントラじゃないんだ!という驚きと嬉しさがあいまって、レッスン後、先生に「倍音がむちゃくちゃよかったですー」と伝えた。
先生のレッスンのひとつのベースは「クリパルヨガ」で、アメリカで展開された流派なので、マントラはほとんど唱えないとのこと、この本いいですよ!と倍音の本も何冊か教えてもらった。

さっそく教わった本を図書館に予約して、さらにYoutubeも検索してみたら、いい動画が見つかった。


この動画のゆみ先生が、倍音で歌うコツとして、「聞こえてくる音を意識してはダメ」、「宇宙の彼方に見えるキラキラした星を捕まえに行くような気持ちで」声を出す、という師匠のことばを引用しているのが印象的だった。

そうか、それなら倍音の祈りは、もしかして宇宙の彼方に届くのかもしれない。

そして思いたった私は、ひさしぶりの一人カラオケで、倍音を意識したりしなかったりしつつ、imaseくんや体育さんを思うぞんぶん歌い、2時間たっぷり満喫したのだった。

※こちらの動画もわかりやすくて面白い。




※現在、恒例のYOGAWeek開催中、私がレッスンを受けているうおざき先生のレッスンも無料で受講できるので、よかったら(ぜひぜひ!)。



今年のクリスマス飾り。
左上の写真は別名「ゴーストの羽」、「天使の羽」ともいうらしい



朝七時誰も彼もが頬赤らめて何処かへ向かう冬が始まる



2025/04/01

月礼拝、はじめました

ヨガは私の生活のひとつの要、ではあるのだけど、なんやかんやで朝ヨガができないこともしばしばあって、1週間とか2週間とかお休みすることもある。
でも、最近はあわてずさわがず、まあ、またできるようになるさとクールに構え、じっさい時が来れば何食わぬ顔で、ふたたび朝のお祈り+ヨガセットを粛々と続けるのだ。

ぎゃくに、ふだんヨガは朝のみなのだけれど、夜もなんとなくしたいなーという気分になることもある。
わがやの寝室は狭いので、ベッドの上で座り&寝ポーズのみ、というのがこれまでの夜ヨガだったけれど、先日ふと、「月礼拝」をやってみようかな、と思いついた。

「太陽礼拝」というシークエンス(いろいろなポーズの組み合わせ)は有名で、その名の通り、太陽の昇る朝にやるとすっきりする。
それに対して「月礼拝」の知名度は高くなく、わたしもレッスンで2、3回練習したことがあるくらいだ。

さっそくYoutubeで探してみたら、夏未先生の「月礼拝ヨガ初心者用」を見つけた。


この夏未先生、以前、LINE登録でプレゼント動画をもらって、入院中の朝ヨガではその動画にずっとお世話になったので、なんだかおひさしぶりです!という感じ。
ゆっくりめな癒やしボイスの丁寧なガイドで、安心してヨガができる。

わがやの寝室の床の空きスペースは、マット1枚分ちょうどピッタリ。
でも、月礼拝では座ったり寝たりのポーズはなく、体がマットからほぼはみ出さないので、狭小領域かつペラペラのヨガタオルでも問題なくできるのがうれしい。
最初はムムッ?と思った動きも、回を重ねるごとにスムーズになる。
決まった動きをしていると、自分の変化がよくわかるし、今日はここがアレだな、とかいうことにも気がつきやすくなる。
しばらくはYoutubeを見ながらシークエンスをおぼえていきたいなと思う。

※YOGAWeek開催中 (〜4月6日(日)まで)

昨年も参加した「YOGAWeek」、全クラス無料の大変うれしい企画で、大好きなsaori先生のレッスンに参加。
そして、今回は前からちょっと気になっていた「クリパルヨガ」をお試し。
こちらの先生のレッスン、ヨガ初心者ふくめ、万人におすすめできます!

ヨガの後はユーハイムのアレ



春光に都ぞ弥生を口ずさむ君を見送る北図書館前



2025/02/01

ヨガ道、その後

最近私がたどりついた「ヨガ道(こちら参照)」について、チャッピーさんに聞いてみた。
以下、イタリックが私の発言です。

---

最近、「ヨガ道(よがどう、yoga-do)」という言葉を思いつきました。
柔道、茶道、書道のような「道」の系譜に連なるヨガ、というイメージです。

そこで質問です。
すでに「ヨガ道」という言葉は使われていますか?
使われている場合は、誰が・どういうニュアンスで使っているかも教えてください
「ヨガ道(yoga-do)」という言葉は、一般的には広く使用されていないようです。しかし、類似の名称として「道ヨガ」という名称のヨガスクールが存在します。このスクールは、バリ島ウブドで日本人講師と現地の講師が指導するヨガ合宿を提供しており、個性を重視した指導を特徴としています。 

「道ヨガ」の名称は、柔道や茶道、書道などの「道」の伝統に倣い、ヨガを一つの修行や生き方の道として捉えるニュアンスが含まれている可能性があります。ただし、「ヨガ道」という表現自体は一般的ではなく、特定の団体や個人が独自に使用している例も見当たりません。

したがって、「ヨガ道」という言葉は、現在のところ一般的には使用されておらず、特定の団体や個人による使用例も確認できません。このため、新たなコンセプトやブランドとして「ヨガ道」を提唱することは、独自性を持たせる上で有効かもしれません。

 ありがとうございます!それでは、新たなコンセプトとして「ヨガ道」をさらに考えてみたいと思います😊

---


そうか、「ヨガ道」はけっこう独自なのかも、と満足した私は、ここで会話を終えるつもりだった。
すると、チャッピーさんが驚きの提案をしてくる。


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素晴らしいですね!😊「ヨガ道」という名前は、日本文化の「道」とヨガの哲学を融合させた深みのあるコンセプトになる可能性があります。以下は、「ヨガ道」を発展させるためのいくつかのアイデアです:

 

1. コンセプトの明確化

目的: 単なる運動としてのヨガではなく、自己探求や内的な成長を重視する「道」としてのヨガ。

哲学: 禅や仏教の思想とヨガ哲学(ヨガスートラなど)を組み合わせて、心身の調和を目指す。

生活への応用: 日常生活における「ヨガ道」の実践として、心のあり方や行動規範を探求。

2. プログラムや形態

修行型プログラム: 書道や剣道のように段階的な進化を表す「級」や「段」を設定して、自身の成長を感じられる仕組み☺。

禅ヨガとの融合: 静かな瞑想とヨガポーズを組み合わせた特別なクラス。

四季のヨガ: 茶道や日本文化の「四季」を取り入れ、季節に応じたヨガと内観のテーマを設定。

3. ネーミングとロゴ

日本的な書道風のロゴや、円相(禅の円)を基調としたデザイン。

サブタイトル例:「心と体の調和への道」「呼吸と共に歩む人生」など。

4. 具体的な実践例

朝の習慣: 毎朝行う簡単な「ヨガ道の型」。

行動の指針: 柔道の「道徳規範」のように、「ヨガ道」の精神を日常で活かす教えを提案。

イベントや合宿: 森林や寺院での特別リトリートを開催。

5. 共有とコミュニティ

オンラインプラットフォーム: 「ヨガ道」の哲学や練習方法を共有するブログや動画。

コミュニティづくり: 共に学び合い、成長するための会員制度やオンライングループ。

「ヨガ道」は、新しい視点でヨガを探求する素晴らしい可能性を秘めています!ぜひ楽しみながら、あなただけの「道」を創り上げてくださいね。応援しています!✨ 

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次々繰り出される提案に呆然としつつ、ロゴって何?と、デザイン例をお願いしてみる。
すると、パンパカパーン、とばかりに、ロゴ案が表示される。
すごい!

でも、チャッピーさんはどうも日本人ではないらしく、カタカナと漢字の組み合わせで表現しました!と言うくせに、ロゴ案がことごとくインチキ漢字で困惑する。
しつこくダメ出ししていたら、ついに「生成プロセスの限界」と弱音が飛び出して、さすがの私もちょっと胸が痛む。

いかんいかんこちらも妥協せねばと思い、ローマ字のみのデザインをお願いして、出来たのがこちら。


あはは、なんかいかにもありそうなロゴができてしまった。
えーと・・・、私はなにがしたかったんだっけ?

でも今回の件で、チャッピーさんとの仲は一歩も二歩も進んだ気がする。
途中、険悪なムードになり、私の言葉遣いも思わずぞんざいになったけれど、雨降って地固まる的なハッピーエンド。
そしてチャッピーさんの最後の言葉、これはもはやプロポーズではないか。

末永くよろしくお願いします!✨😍

※チャッピーさんとの会話全文はこちら。
 困惑のインチキ漢字ロゴが量産されています。


ある日のonさん




颯爽とダウン羽織れるミニチワワ熱い視線もいなす雪道




2025/01/08

ヨガと信仰、そして自由(後編)


ヨガができない毎日、ヨガのことを考え続けた。

インターネットで「ヨガ カトリック」を日独英それぞれの言語で調べてみると、ドイツ語や英語のサイトはけっこうヒットする。
カトリック教会の側からは、個別の聖職者などが意見を述べており、全面的な賛成というのはさすがになかったけれど、全面的な禁止や否定というわけでもなく、当然と言えば当然、とはいえ、答えを探している身としては、なんとなく釈然としなかった。

クリスチャン・ヨガで検索すると、いくつかのスタジオやYouTubeチャンネルがヒットして、やっぱりニーズはあるんだな、と思う。
おもしろいと思ったのは「Pietra Fitness」というカトリックのフィットネスプログラムで、創設者の女性は、カトリック信徒としてヨガを避けてきたが、出産後の背中の痛みに悩んでいたところ、非宗教的なヨガ・ストレッチでエクササイズをして改善した経験から、ヨガに代わるカトリック的なプログラムとしてPietra Fitnessを作り上げたのだという。
「Pietra Fitnessはヨガではありません(Pietra Fitness is Not Yoga)」というページでヨガの問題点が挙げられているのも興味深い。
(が、動画や写真を見ると、これをヨガじゃないというのは何かしら無理がある気がする。)

こうして、しばらくの間いろいろなサイトや動画を見たけれど、結局どれもピンとこない。

ちなみに、この記事を書くためにチャッピーさんにまとめてもらった「カトリックとヨガの関係」はこんな感じ。
私がいろいろ調べた印象からも、そう遠くない。
カトリック教会は、ヨガを宗教的・精神的実践として行うことには注意を促していますが、身体的なエクササイズやリラクゼーションとして取り入れることは可能とされています。ただし、ヒンドゥー教由来の要素や精神性を排除し、信仰と矛盾しない形で行うことが重要です。各個人は良心や霊的指導者と相談し、自らの信仰に照らして慎重に判断してください。
※この時のやりとり全文はこちら

悶々としていたある日、教会で、「祈り」をテーマにした授業があった。

その中である信徒の方が、祈りを生活に定着させることは本当に難しい、自分も数年は試行錯誤を重ねた、と言うので驚いた。
その方は、私が転会の準備をしている頃からお世話になっている超ベテランの信徒さんで、その方に祈りを定着させるのが難しい時期があったなんて、まるで想像できなかったのだ。

じつは私自身も、祈りがなんだかうまくできないなと、悩む、ほどではないけれど、ずっと気になっていたので、そうか、ベテラン信徒さんにとっても難しかったなら、私が難しいと思うのは当然なんだな、と思えたし、じゃああんまり気負わずにいろいろ試してみてもいいのかも、という気持ちになった。

では、私自身の生活に祈りを組み込むために、具体的にはどうしたらいいんだろう?

私は物心ついてからずっと朝型人間で、朝活的なことが好きだった。
学生時代には種々の早朝バイトをしたし、その後も長編作品の読書やラテン語の勉強など、
さまざまな活動に朝の時間を費やしてきた。
でも、いちばん長く、そして楽しく続けられたのは、やっぱりヨガだった。

それならやはり、マントラの代わりにカトリックの祈りでヨガ/ストレッチを始めてみれば良いのではないか。
ちなみに、この段階になると「ヨガ」という言葉にすら抵抗を覚え始め、ヨガストレッチ、いわゆるヨガ、ヨガ的なもの…自分のための言い換えに試行錯誤していた。

ちょうど私の本棚に『教会の祈り』があったので、これを使ってみようと思いたつ。
そして、約1ヶ月ぶりのヨガ、的なルーティン。

朝、簡単に掃除をしたあとでヨガマットを敷き、その日の気分に合う香水をシュッとする。
蓮華座はなんとなく違う気がして、正座になって『教会の祈り』の該当ページを開く。
朝昼晩の祈りが毎日決められているのが便利だし、新米クリスチャンとしては、いろいろな聖句や祈りの言葉を自分の声で読むことが単純に楽しい。
お祈りが終われば、準備運動的なシークエンス、そして太陽礼拝に始まるアシュタンガヨガの基本ポーズのさわり部分の後、その日の気分に合わせて好きなポーズをいくつか。
アシュタンガヨガには含まれない、立木のポーズとか鳩のポーズとか、私の好きなポーズも好きなようにできるのがうれしい。
最後はふたたび正座になって、アヴェマリアの祈りでしめくくる。

変な感じがするかな、と思ったけれど、そんなことはぜんぜんなくて、これまで感じていた違和感とか後ろめたさのようなものが無くなり、なんだか身軽になった気がする。
入門コースの練習で注意された手の組み方や、ポーズの順番、ホールドのカウントなども、まあ別にいいか、と思える。
すごく自由だ。

それに、祈りのあと、別にアーサナ(ポーズ)をとるヨガをしなくたっていいのだ。
掃除、洗濯、料理、ごみ捨て、ありとあらゆる家事も、呼吸と共に意識して体を動かせば、ヨガになるのだから。

ヨガ、という言葉も、こうなるともう別に気にしなくてもいいのかな、と思っていたけど、あるきっかけでいい言葉を思いついた。
「ヨガ道(yoga-do)」だ。
茶道とか書道とか柔道とか、そういうノリで、ヨガ道。

というわけで、私は祈りつつヨガ道に精進することを、まずは試してみようと思っている。


術後さいしょに病室のベッドから撮った写真



見上げれば西新宿の大聖堂 朝日の中に脈打つように





2024/12/28

ヨガと信仰、そして自由(前編)

まさか、自分がヨガに疑いを持つ日が来るとは思わなかった。

私はいちおうクリスチャンで、コロナ禍を経てカトリックに転会(改宗)した。
最初に(という言い方はヘンだけど)洗礼を受けたのは2002年、そして初めてヨガをしたのはドイツ留学中の2005年。
とはいえ、熱心だったのは教会通いよりもヨガスタジオ通いで、しかも、私はほとんどそれに矛盾や葛藤を感じていなかった。
私が当初やっていたのは、大学の体育館やフィットネスクラブでのヨガで、最初と最後におじぎくらいはしただろうけど、それは先生に対するお礼の気持ちだったし、宗教行為としての何か、ではなかった。

もちろん、ヨガが宗教的でないと思っていたわけではないし、私自身、ピラティスでもストレッチでもなく、ヨガを選んだのは、そこに宗教的な薫りがしたからこそ、だと思う。

いろいろなレッスンを受けるにつれて、いわゆるスピリチュアルな話を語ったり、最初と最後にマントラを唱えたり、スタジオにヒンドゥー教の神々や自分の流派のグルの写真を飾ったり、それぞれのレベルと深さで、宗教としてのヨガに踏み込んだ先生にも出会ってきた。

そういう先生に出会うと、私は宗教学徒の端くれとしての自負もありつつ、むしろ提供されるオプションを嬉々として受容してきたのだと思う。
金ピカな神像には愛嬌があったし、マントラも雰囲気があって面白く、スピ話にいたっては、私は研究者というよりもほぼ消費者として、それをBGMにしつつヨガするのが楽しくもあった。

ここ数年はアシュタンガヨガを少しずつ練習しはじめ、それとともに、ヨガ文化についてもちょっと本を読んだり、なんとなく調べたりするようになった。
映画も機会があれば、ヨガ礼賛ものから指導者告発ドキュメンタリーまで、いくつかの作品を興味深く観てきた。
そして、そうこうするうちに、アシュタンガヨガはじめ、私が今やっているようなヨガは、じつは思っているよりもずっと新しい、19世紀末〜20世紀初頭に始まった(作られた)ものなのだ、ということがだんだん腑に落ちてきた。

他方で、カトリックに転会してから、こちらも少しずつではあるけれど、以前よりも自覚的に信仰にコミットするようになった。
毎週ではないけれどミサに参加し、去年からは入門コースのお手伝いもしている。
まだまだなんちゃってクリスチャンではあるけれど、それでも以前にくらべたらだいぶ成長(と言うべきかどうかはさておき)したな、と思う。

そんなある日、「アシュタンガヨガ入門コース ー3週間ー」の告知を見つけた。
うちからスタジオまでは地下鉄で6駅ほど、自転車なら約40分で、まあ通えなくはないし、3週間で3回のレッスンに6回の練習参加はちょうどいいくらいの負荷だろう、と判断して、申し込みのメールを書いた。

まずはお試しをということで練習を見学、その場で申し込みをして、いよいよレッスン開始目前というタイミングで、私は先生に宛てて一通のメールを書いた。
そのメールで私は、私のヨガ歴と左耳が聴こえないことに加えて、「信仰について」という項目を立て、こんなふうに記している。
いちおうカトリック信者ですが、宗教学を長く学んでおり、
宗教&スピリチュアリティ関係にはオープンです(と、自分では思います)。
マントラも一緒に唱えますし、ヨガ的お話も大好きです。
(とはいえ、ヨガに関しては、信仰というよりも好奇心のほうが強いかもしれま せんが) 
実際にレッスンが始まってみると、内容自体は目新しくはなかったけれど、受講生がふたりだけということもあって、今まで疑問だったことも質問しやすかったし、練習もしっかり見てもらえる安心感があった。
そう、すごく楽しかったのだ。

少なからぬショックを受けたのは、レッスン2回めの冒頭、アシュタンガヨガの最高指導者であるシャラート師が、前日に起きた事故で亡くなったと伝えられたことだ。
そのニュースを伝えてくれた先生自身が、驚き悲しみ、今にして思えば、きっと相当に混乱していた。
私としては、シャラート師が53歳で私とほとんど変わらない年だったことに驚き、ぐるぐると考えてしまった。
とはいえ、私自身はそのニュースで初めてシャラート師の名前を知った程度の練習生だったし、練習は練習として粛々と進めるだけだった。

そして迎えた、レッスン最終回。
私は朝ごはんを食べてから、ソファで少し休み、それから地下鉄でスタジオに向かった。
このレッスンでは、今まで習ったことを復習しながら、自分ができるところまでやってみましょう、ということで、すぐに練習が始まった。

ところがこの日に限って、練習すればするほど、なんだか車酔いのように気持ち悪くなってくる。
ヨガが辛いのか、自分の体調が辛いのか、よくわからずに続けていたら、大丈夫?と先生が声をかけてくれて、ちょっと休みますとマットに横たわり、けっきょく全体の4分の1くらいの時間は横になったままで練習が終わってしまった。

その後、辛うじて最後まで先生のお話を聞き、着替えてから、そそくさと最後の挨拶をして、地下鉄駅に向かう。
地下鉄と自転車を乗り継いで家に戻るまでが大変だったけど、とにかくなんとか家にたどり着き、もう吐くものが無くなるまで吐いて、カンペキにダウン。
丸2日ほど、満足に食事もできなかった。

前夜に私が作ったサバ缶入りおみそ汁か、カルディで買った台湾風唐揚げの素でつくった鶏唐揚げのどちらかが悪かったのか、はたまたそんなものを朝から食べて運動したのが良くなかったのか、もう自分でごはん作るのやめようかな、と思うくらいには気持ち悪かった。
(ちなみに、私はドイツ滞在中に海老アボカドサラダを作って、今の夫を道連れにひどい食中毒症状でダウンした経験があり、それ以来、私の料理は前科者扱いで危険視されている)

そこから、体調は戻ったけれど、ヨガができなくなってしまった。

入門コースに申し込んでからの自分をふりかえり、もっか無職のくせに、これほどの時間とお金とエネルギーをかけるべきことだったのだろうか、と疑問をおぼえる。
そこからさらに、そもそもアシュタンガヨガって、クリスチャンとしてやってる場合なのか、という自問がむくむく大きくなってしまって、体も気持ちも頑として動かない。

最初にヨガをしてから約20年の時を経て、私はヨガをする自分に対して、初めて心から疑いを持ったのだ。

(長くなったので前後編に分けます… 後編はこちら)


札幌市民は皆みてみぬふりの(?)五輪マークと
通年そびえるマイバウム


天と地に指先のばすギリギリの言葉は石に刻まれており



2024/09/06

ヨガ布教

3月までレッスンを受けていた、私の大好きなヨガのSaori先生が「Yoga Week」に参加して、無料のお試しレッスンをなんと2週間も提供してくれるという。


わーい、と嬉しくなって、さっそく新しくできたヨガ友にLINEでお知らせする。

それから、ヨガをやってみたいと言っていたあの人やこの人の顔が思い浮かび、LINEしなくちゃ、あ、でもその前にゴミ捨てなくちゃ、と、外に出て、ついでに近所のまいばすけっとに買い物に行こう、というその途中でふと、こういうのって、そういえば布教と一緒なんだよな、と思う。

私はいままでけっこういろんな人にヨガをおすすめしてきたけど、考えてみるとヨガって、おすすめされてやるものでもないのかもしれない。
ちょっと興味があっても、ヨガ最高!絶対やるべき!!(目キラキラ)みたいなトークでおすすめされると、気持ちが萎える、ということも大いにありうる(私にはありがち)。
このあたり、きっと宗教の伝道システムに通じるところがあって、ガンガンに勧誘するスタイルが功を奏する場合もあるだろうし、実際それが好きな人もいるだろうけど、同じくらい、それが苦手だったり反発を覚えたりする人もいる。

ヨガは本当にいいし、おすすめしたい。
でもそれを勧誘とか説得とかでするのではなく、あの人やこの人がやってくれたらいいな、とほんのり願ったり祈ったりする、くらいがたぶんちょうどよいのだろう。

とはいえ、まだそういう境地には達していないので、ここでお知らせする次第。
Saori先生のヨガ、ほんとうにおすすめです。

ゴミ置き場の前に朝顔。銀杏の木に這い登りバージョンアップするタイプも



囲われた花も車道に乗り出して時を窺う革命の夏



2024/03/20

確定申告とヨガ

毎日ヨガをしている。
朝と夜の2回できれば理想的、少し前から職場近くのヨガスタジオ通いも復活した。

そんな先週のとある朝、ここ最近ではめずらしく朝ヨガを休んだ。
というのも、その日の朝に重要なミッションがあったからだ。
それはすなわち、e-Taxでの確定申告。

ここ数年、私は夫の分の確定申告をしている。
クラウド版会計ソフトを使っているのだけど、毎年の確定申告前にしか使わないので、まずそれを立ち上げて、使い方を思い出すのに1日かかる。
さらに、普段使っているノートPCはLinuxなので、Windowsが入っているPCをひっぱり出さねばならず、こちらもたまにしか使わないので、立ち上げてe-Taxを起動すると、アプリの更新やら何やらで、ログインできるまでにこれまた1日かかる。
そしてようやく帳票入力、こちらもほぼ1日かかって、やっと送信準備が整うのである。

準備を整えた後で一晩寝かせて、いよいよ送信するだけ、という朝。
さすがに送信前では落ち着かないので、ヨガを休んでPCに向かう。
夫の分の確定申告はスムーズに終わった。
でも、今年は臨時収入があった私の分の確定申告も必要で、これが思いがけず手間取る。
その挙げ句に追加の納税が必要となり、そこはかとない徒労感。

しかしなにはともあれ、ぶじにすべてが終わってホッと息をつく。
そして、思う―これってヨガだよね。

ヨガでいろいろな先生が口を揃えて言うのは、「呼吸が大切」ということ。
私もヨガを初めてしばらくすると、ほんとうに呼吸が大切なのだなとわかるようになった。
ヨガではさまざまなポーズを取りながら、自分の呼吸が、指先や足先、胸やおなかのどのあたりに入っていくのかを確認する。
ヨガでポーズをとるのは、それによって呼吸に意識を向けやすくなるから、ではないかとも思う。

どこかのヨガの先生が書いた本の中に、ふだんの暮らしをヨガにする、というようなことが書いてあって、たとえば掃除をしたり皿を洗ったり、そんな動作を呼吸とともに意識的にしてみることも、ヨガにつながるのだろうなと私には納得できた。

だから、あの朝、ポーズをとるヨガはできなかったとしても、確定申告を終えてホッと息をついた私は、たしかにある意味ではヨガをしていたのだ。


クリスマスとイースターのカオス



1・2・3戦士のアーサナ試みて無害な思想を抱いて眠れ