2026/10/10

いまさらSNS

いまさらながら、SNSにハマっている。

きっかけは、妹と姪2人のセットログに入れてもらったこと。
4人だけのグループで、2、3秒の動画を1時間に1回しか投稿できないとか、未読・既読が分からないとか、でも動画へのスタンプやコメントはじゅうぶんできるとか、気分にムラのある私でも無理なく楽しく続けられるのがうれしい。

投稿するのは主に、私と妹のアラフィフシスターズ。
でも、ヤングシスターズの姉のほうは時々キラキラ女子大生な写真、妹のほうは希少価値のあるアート系な写真を投稿してくれるので、供給と感情が反比例するのもまたクセになる。

セットログにも慣れてきて、ふとFacebookをやろうかなという気持ちになった。
最初は知っている人を見かけたらすぐに友達申請していたけれど、自分で投稿するようになったあたりで、友達は「お茶とか食事に一緒に行ける人」に限定しようと決めた。
そう決めたら、誘いたい人、誘ってみたい人、誘われたい人が、次から次へと思い浮かび、絶賛友達探しキャンペーンとなる。

インスタ、Twitter/X、Threads、果てはSubstackまで、アカウントは持っていて眺めはするけれど、自分で投稿する気持ちにはなれない。
このブログは、日記以上論文以外のコンセプトに合う話題だけを投稿している。
それに対してFacebookは、クラス内で発表する絵日記のように投稿できるのが楽しい。

宗教学同期グループLINEで、Facebook楽しいよ!とメッセージしたら、「俺は退職してからやるわ」と返ってきた。
そういえば、私は大学の仕事も学会の類もすべて辞め、手術の後遺症と老化のダブルパンチで、左耳はきこえないし目は老眼と乱視で、もうどうにでもしてーという感じ。
もしかして、もはやすでにいろいろリタイアしているのかもしれない。

Facebookはじめました!とメッセージを送った友人からは、え、みんながFacebook辞めていってる今、始めるの?と笑われた。
Facebookの友達を見ると、年下の友達は54人中13人。
ということは、友達の多くがリタイア組かリタイアが視野に入っている方々ということ。
「勝手にリタイアさせるな!」と怒りそうな人もいるが、それがまさにざっくりリタイア組の証だ(笑)

かたやセットログでキラキラなJD・JKライフを(時々)浴びつつ、かたやFacebookで人生の秋から冬を楽しむ。
そんなSNS生活が私の日常になりつつある。


ある日の朝イチ仕事は「ラベンダーを刈り取り、束にして干す」
妹曰く、絵本の世界の住人のお仕事😉



眼差しは子犬とこどもと老婦人ひかりとなりて今日の吾を照らす




2026/10/01

大切な苦言、あるいは良薬は口に苦し

夫とまだ友人になったばかりの頃、あるきっかけで、彼に怒られたことがある。

真面目なトーンで面と向かって怒られた私は、ふだんは優しくて愉快な彼に叱られたことがショックで、一瞬ことばを失った。
でも次の瞬間、彼が私を大切な友人だと思うからこそ、怒りを私に伝えたのだと悟った。
だから私は、まっすぐに彼の目を見て謝ったのだ。
あんなふうにまっすぐ誰かに謝罪したことは、後にも先にもない。

思えば、私にとって大切なひとは、ここぞというポイントとタイミングで私のことを叱ってくれる。
そう気づいたら、あふれるようにいろいろな記憶、具体的なあれこれの場面がよみがえる。 

古賀先生の「人に話さないほうがいい」という教えも、ある意味でそういう場面だった。
古賀先生の次に出会った三人めの恩師は、自分の都合で安易に約束を変更した私を叱った。
妹には先日、とあるコメントが誤解を招きそうだから、削除したほうがいいと注意された。
最近は職場で、ある神父さまに、教会の鍵の扱いが雑だと叱られた。
そしてつい昨日、朝ミサ後の聖堂で、知り合いの信徒さんとおしゃべりをしていたら、7月に巡礼に連れて行ってくれた方が、身振りで私たちをいさめた。

誤解なきよう言っておくと、私は人から叱られるのがすごく嫌だ。
理不尽に怒られた日には、その10倍くらいの勢いで怒り返すし、とことん根に持つタイプでもある。
でも、正しく怒られた時には、その相手に対する信頼が増す。
私という人間は、そういう仕組みになっているらしい。


先日、観光客かと思い声をかけた三人組、
実はうちの教会所属の神父さまとそのお友達でした(笑)



友達に二百通りの意味があり中途覚醒早朝LINE