2019/07/20

あの頃の自分の事

ヨガのクラスにすごく久しぶりに行って、先生から「おひさしぶりですね!」と声をかけられ、とっさに「いやー、人生で一番かも、っていうくらい忙しくて」と答えた。

ヨガのあと、さっきの「人生で一番」っていうのは、ちょっと大げさだったかな、いやでも、たしかに、連休に引っ越しを決めてからというもの、まるでジェットコースターのような毎日だったし、一番、っていうのは言い過ぎにしても、3本の指に入る、かどうかはちょっと自信がないけど、とりあえずぜったい5本の指には入る忙しさだったよな・・・と、ぐるぐる考えた。

多忙のクライマックスは、ひさしぶりの学会発表。
会場はなんと、とある女子大学の新設チャペルで、イエス像に見守られて発表するというシチュエーション、なんだかそれまでの忙しさも天に昇っていくようだった。

発表のあと、偶然、2010年秋の日記を読み返す機会があった。
そう、この頃も忙しかった。
私にとってはとんでもなくヘビーな毎日だった。
日記を読み返していると、あの頃の自分やまわりの人たちの、渦巻くような思いがたちのぼる。
それらが天に昇るまでには、まだもう少し時間がかかるのかもしれない。

学会は祝日の月曜日、火曜日は夜遅くまで授業があって、ああやっとゆっくり眠れる、と思ったら、なんだか頭が興奮しているのか、夜中に目を覚ましてしまう日が2、3日続いた。
それで、Kindle Unlimitedに入っていた平野啓一郎『ある男』を読んだ。
すぐれてまじめな現代小説、と思う。
平野啓一郎の小説は『日蝕』以来だけど、他の作品も読んでみたくなる。

『ある男』を読み終わってすぐ、Kindleに入っていた芥川龍之介全集を開く。
『ある男』に出てきた「浅草公園」を読み、それから「あの頃の自分の事」という文章を読む。
そして、「手巾」を読み返す。
「得体の知れない何ものか」にしばし目をこらす。

この2ヶ月半の日々は、たしかに忙しくて、大変だった。
でも、いままでの私の人生には、そういう日々がいくつかあって、その日々の言葉とともに立ち上がる思いがある。
そんなふうに、過去が、言葉が、積み重なって時々立ち上がる。
そんなふうに、人生と歴史をイメージする。



泣くことを止めたあの子の眠るとき手の中に咲く忘却の花