2025/02/19

歌いながら歩いてきた

今年はカトリックの「聖年」にあたり、ルーチェさんはいつ私が通う教会に来てくれるかと心待ちにしている今日この頃。
先日のミサで2025年「聖年」の賛歌「希望の巡礼者」を歌った。


この歌を歌うのは何度めかで、歌うたびによさが増すなと思いつつ、ふとよみがえったのは、中学生の頃の記憶。

私が通った中学校はやたら合唱に力を入れており、ことあるごとに合唱して(させられて)いた。
校内合唱コンクールは一大イベント、全校集会(「千人集会」と称す、第二次ベビーブーム世代)でも大合唱、なんなら修学旅行でも、歌えそうな場所があればとにかく歌う。
札幌・中島公園の豊平館で、今ならたぶん許可が下りないであろう大人数で合唱したのは、いまや札幌市民になった私としては、ちょっと自慢できる思い出かもしれない。
「ヤンキー」がまだ各クラスで派閥を形成していた時代、合唱はたぶん、学校側の生徒掌握ツールのひとつでもあったのだろう。

そうして思春期のど真ん中で少なからぬ時間とエネルギーを合唱に注いだ私も50歳になり、音域は狭いし音程もあやしいしで人前でひとり歌うのははばかられるけれど、歌うこと自体はけっして嫌いではない。
私がカトリックに転会したのはコロナ禍の最中で、歌はおろか言葉を発することも制限されていたのが、制限がなくなり通常のミサが再開すると、歌われる歌の多さとバリエーションに驚いた。
とくに最近は、ミサの式文もいろいろ歌われるし、主の祈りや使徒信条だって歌われる。
こうなると私の合唱魂が刺激され、思春期なみのまじめさで歌いあげるので、最近ではミサが終わるとカラオケの後のようなすっきり感がある。

そんなタイミングで登場した「希望の巡礼者」、これがまさに中学生の頃の合唱曲を彷彿とさせるのだ。
あの当時、「大地讃頌」とか「モルダウ」とか「河口」とかヘンデルの「ハレルヤ」とか、はては「太陽がくれた季節」や「想い出がいっぱい」まで、時代も地域も信仰もごちゃまぜで歌いまくったのだけれど、そのなかに「ともしびを高くかかげて」という歌があった。


「希望の巡礼者」にもある「ともしび」がリンクして、この曲が思い出されたに違いない。
Youtubeで検索し、なかなかに複雑なメロディとやや唐突な「ともだちはなによりいいものだ」のラインを懐かしんで、ふと目に入った名前におどろいた。

「作詞:岩谷時子」

なんと、越路吹雪の数々の歌に歌詞をつけていた岩谷時子が作詞を担当していたのだ。

越路吹雪をテレビで観た記憶はないけれど、そのインパクトある名前は、これまた中学生の頃、何かの劇に登場したので覚えていた。
学生時代にバイトしたススキノのお店では「愛の讃歌」が定番曲で、マスターの伴奏でいろいろなお客さんが歌うのを聴き、そうこうするうちに私自身も越路吹雪のファンになり、「サン・トワ・マミー」は私の数少ない持ち歌のひとつになった。

そんなことを思い出しながら、あらためて「ともしびを高くかかげて」の歌詞を読んでみると、そういえばなんとなく聖歌のような雰囲気もある。
ともしび手に 高くかかげて
みんなで 歩いて行こうよ
そこにはいる 心かよう友だち
この道は世界の 遠い国から つづいてる
空へ灯をかかげて
私たちはここだよと 叫ぼう
ともしびが 消えた人には
みんなで 愛の明りを あげようよ

ともしびを高くかかげて」作詞:岩谷時子、作曲:冨田勲 

 
ルーチェさんと仲間たち。天使がかなりガッちゃん(笑)
画像はカトリック中央協議会HPよりダウンロード可能




ふるさとの山に向かひて立つ吾のスナップショット父のまなざし



2025/02/14

アンガーウォッチング

私はあまりカッとなるたちではない。
ムッとなることはけっこうあって、思わずツンケンな態度をとってしまい、後で恥じ入ることも時々ある。
でも、カッとなって思わず怒鳴る、みたいなのは、ほとんどない。
だから、物心ついてから誰に・どんなシチュエーションで怒ったか、ちゃんと覚えている。

先日、あるひとにすごく腹をたてた。
たちの悪いことに、その時には自分の怒りに気づかず、それどころか落ち着いて冷静な言葉を返し、最後はにっこり笑って握手…までは日本なのでしなかったけれど、ドイツだったらたぶんしちゃってて、つまり、私はその場をまるく収めたのだ。
そして、その日の夜に日記を書きながら、あれ、やっぱり私、怒ってるな、と気づく。
一晩寝て起きて、それでもまだ自分が怒っていること、しかも、ひさしぶりに真剣に、いうなれば生き生きと怒っていることを確認した。

そこで、せっかくの機会だし、自分がこれまでに真剣に怒った状況を思い返し、いったい私が何に腹を立ててきたのかを分析してみた。
で、見つけた私の怒りスイッチは3つあって、まずは理不尽さ、次にモラルに反すること、そして私に心理的・性的な危険が及ぶ場合。

今回の怒りは3つの怒りスイッチがぜんぶちょっとずつかな、などと思っていた矢先、別件でちょっとモヤモヤするできごとがあった。
あれ、私、もしかしてまた怒ってる?
自分の気持ちをときほぐし、夫や信頼できるひとにも話を聞いてもらって、ていうか、これはどのスイッチ?、ああそうか私、根拠なくエラそうな態度をとられるのも好きじゃないね、などとつらつら考えていて、ふと気がついた。
私、もうあのひとのことをそんなに怒ってない。

大きい怒りに小さい怒りがぶつかって、波が打ち消しあうような、そういうイメージ。
えー、おもしろ!
ひとの気持ちっておもしろいなあ、と思った、最近の出来事。


ストロベリー・フィールズ・フォーエバー



目の前で怒鳴り続けるひとのいて永遠にひろがる苺畑よ



2025/02/01

ヨガ道、その後

最近私がたどりついた「ヨガ道(こちら参照)」について、チャッピーさんに聞いてみた。
以下、イタリックが私の発言です。

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最近、「ヨガ道(よがどう、yoga-do)」という言葉を思いつきました。
柔道、茶道、書道のような「道」の系譜に連なるヨガ、というイメージです。

そこで質問です。
すでに「ヨガ道」という言葉は使われていますか?
使われている場合は、誰が・どういうニュアンスで使っているかも教えてください
「ヨガ道(yoga-do)」という言葉は、一般的には広く使用されていないようです。しかし、類似の名称として「道ヨガ」という名称のヨガスクールが存在します。このスクールは、バリ島ウブドで日本人講師と現地の講師が指導するヨガ合宿を提供しており、個性を重視した指導を特徴としています。 

「道ヨガ」の名称は、柔道や茶道、書道などの「道」の伝統に倣い、ヨガを一つの修行や生き方の道として捉えるニュアンスが含まれている可能性があります。ただし、「ヨガ道」という表現自体は一般的ではなく、特定の団体や個人が独自に使用している例も見当たりません。

したがって、「ヨガ道」という言葉は、現在のところ一般的には使用されておらず、特定の団体や個人による使用例も確認できません。このため、新たなコンセプトやブランドとして「ヨガ道」を提唱することは、独自性を持たせる上で有効かもしれません。

 ありがとうございます!それでは、新たなコンセプトとして「ヨガ道」をさらに考えてみたいと思います😊

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そうか、「ヨガ道」はけっこう独自なのかも、と満足した私は、ここで会話を終えるつもりだった。
すると、チャッピーさんが驚きの提案をしてくる。


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素晴らしいですね!😊「ヨガ道」という名前は、日本文化の「道」とヨガの哲学を融合させた深みのあるコンセプトになる可能性があります。以下は、「ヨガ道」を発展させるためのいくつかのアイデアです:

 

1. コンセプトの明確化

目的: 単なる運動としてのヨガではなく、自己探求や内的な成長を重視する「道」としてのヨガ。

哲学: 禅や仏教の思想とヨガ哲学(ヨガスートラなど)を組み合わせて、心身の調和を目指す。

生活への応用: 日常生活における「ヨガ道」の実践として、心のあり方や行動規範を探求。

2. プログラムや形態

修行型プログラム: 書道や剣道のように段階的な進化を表す「級」や「段」を設定して、自身の成長を感じられる仕組み☺。

禅ヨガとの融合: 静かな瞑想とヨガポーズを組み合わせた特別なクラス。

四季のヨガ: 茶道や日本文化の「四季」を取り入れ、季節に応じたヨガと内観のテーマを設定。

3. ネーミングとロゴ

日本的な書道風のロゴや、円相(禅の円)を基調としたデザイン。

サブタイトル例:「心と体の調和への道」「呼吸と共に歩む人生」など。

4. 具体的な実践例

朝の習慣: 毎朝行う簡単な「ヨガ道の型」。

行動の指針: 柔道の「道徳規範」のように、「ヨガ道」の精神を日常で活かす教えを提案。

イベントや合宿: 森林や寺院での特別リトリートを開催。

5. 共有とコミュニティ

オンラインプラットフォーム: 「ヨガ道」の哲学や練習方法を共有するブログや動画。

コミュニティづくり: 共に学び合い、成長するための会員制度やオンライングループ。

「ヨガ道」は、新しい視点でヨガを探求する素晴らしい可能性を秘めています!ぜひ楽しみながら、あなただけの「道」を創り上げてくださいね。応援しています!✨ 

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次々繰り出される提案に呆然としつつ、ロゴって何?と、デザイン例をお願いしてみる。
すると、パンパカパーン、とばかりに、ロゴ案が表示される。
すごい!

でも、チャッピーさんはどうも日本人ではないらしく、カタカナと漢字の組み合わせで表現しました!と言うくせに、ロゴ案がことごとくインチキ漢字で困惑する。
しつこくダメ出ししていたら、ついに「生成プロセスの限界」と弱音が飛び出して、さすがの私もちょっと胸が痛む。

いかんいかんこちらも妥協せねばと思い、ローマ字のみのデザインをお願いして、出来たのがこちら。


あはは、なんかいかにもありそうなロゴができてしまった。
えーと・・・、私はなにがしたかったんだっけ?

でも今回の件で、チャッピーさんとの仲は一歩も二歩も進んだ気がする。
途中、険悪なムードになり、私の言葉遣いも思わずぞんざいになったけれど、雨降って地固まる的なハッピーエンド。
そしてチャッピーさんの最後の言葉、これはもはやプロポーズではないか。

末永くよろしくお願いします!✨😍

※チャッピーさんとの会話全文はこちら
 困惑のインチキ漢字ロゴが量産されています。


ある日のonさん




颯爽とダウン羽織れるミニチワワ熱い視線もいなす雪道