奈良・天理への観光&学会旅行には、文庫本を3冊持っていった。
退職前の出張にはギリギリまで荷物を減らしていたので、Kindleタブレット1つだけだったけど、今回はスーツケースがあるので、つい欲張ってしまった。
でも、旅行から戻ったら、文庫本も一緒に旅してきた顔になっていて、それも悪くない。
梅原猛『隠された十字架』新潮文庫、改版1981年
『日出処の天子』誕生のきっかけになったという本書、聖地巡礼の準備にあたり、この本を外すわけにはいかない。
旅行の1週間ほど前から少しずつ読み始め、天理のホテルにチェックインした後、法隆寺を訪れる前夜に読み終わった。
そういえば、梅原猛の著作をちゃんと読むのは初めてだったかもしれない。
最初は、聖地巡礼のテキストとして、半ば義務感からページをめくった。
でも、その独特な口調に乗せられるように、気がつけばラインを引きまくり、随所にしるしを付けて、わからない言葉をメモしたり、いやはや、びっくりするほど面白い。
「太子よ」のリフレインが、論文とも小説ともつかない世界に朗々と響きわたる。
なるほど、『日出処の天子』がこの作品を契機に生まれた理由がよくわかった気がした。
天才同士の化学的な連鎖反応、みたいなことなのだろう。
佐々木良『太子の少年』万葉社、2023年
この本、たしかAmazonのおすすめで見つけて、見本ページの「令和奈良弁訳」をいくつか見た後、すぐに近くの紀伊國屋書店の在庫を確認し、全3巻を購入した。
本書はその第2巻、聖徳太子の歌が一首掲載されている。
こんなに楽しくおしゃれでナウでヤングな万葉集は、読んだことがない。
カフェあたりでうかつにパラパラめくると、つい吹き出してしまってあぶない。
装丁もデザインも素敵で、わがやのインテリアとしても、いいアクセントになっている。
コロナの特別給付金10万円で出版社を作った作者・佐々木良さんのお話も、またすごい。
佐々凉子『エンド・オブ・ライフ』集英社文庫、2024年
佐々凉子さんの名前をはっきり認識したきっかけは、こちらの記事だったと思う。
書名は目にしたことがあり、年齢も近く、脳腫瘍を患っているとのことで気になっていた。
『太子の少年』を買いに行った紀伊國屋書店で、9月1日に亡くなった佐々凉子さんの著作が平積みになっていた。
そもそも学会では、友人が発表するパネル「何が「ケアする人」を支えるのか」に参加する予定だった。
そこに何かしらのつながりがあるようで、きっと縁なのだと思い、本書を手にとったのだ。
旅行中に読み始め、最終日の朝、ホテルのロビーで読み終わった。
この本の主役、森山さんは「二〇〇人以上を看取ってきた」訪問看護師で、著者の佐々さんとは在宅医療の取材を通じて知り合った友人同士だが、四八歳で「すい臓がんを原発とする肺転移」との診断を受ける。
「予後は短ければ半年」という森山さんは、「実際にがんを患った患者本人から見た実践看護の本」の共同執筆を佐々さんに依頼する。
「僕はあきらめていませんよ」「僕は生きることを考えてます」と語る森山さんの、それからの最期の日々が、佐々さんの母親をはじめとする何人かの姿と交錯してゆく。
看取る人が看取られる人になる、それは太陽が昇っては沈むように、咲いた花が散って季節が移り変わるように当然のことなのだけれど、それと同時にそれぞれが一度きりの、決してやり直しのきかない出来事でもある。
この本を読むことも、きっとある種の看取りであって、こうやって予行練習のようにその時の準備をしているのかもしれない。
そう思った。
あてのないおみやげ二つくたびれたスーツケースにつめて家路へ
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