2024/06/02

ひとりでできるもん! あるいは冷静とうぎゃーのあいだ(後編)

初めてヨガをしたのは、ドイツ留学中だった。
大学が提供しているアクティビティの中にヨガがあって、キャンパス内の体育館で週1回、無料で参加できたのだ。
人気のクラスで毎回フロアはいっぱいだったけど、運動量多めで楽しく参加できたし、周りの参加者に比べて自分は体が柔らかいことに気づいてちょっと得意になったりもした。

それ以来、住む場所や環境がめまぐるしく変わっていく中でも、通えるクラスや使える動画を探しては、その時々の経済状況に合わせた練習をして、大げさではなく人生の荒波をヨガとともに乗り越えてきた。
コロナ禍の副産物でオンラインヨガを始め、聴神経腫瘍が見つかった後は、むしろ手術に備えて体力をつけるべく意識して練習し、検査入院の時に病室のネット環境が良くないことが分かったので、手術入院の時には、厳選ヨガ動画とネックバンド型の軽量ヘッドフォンを用意して、入院中は朝の検温から朝食までの時間をヨガの練習にあてていた。

そう、ベッドの上とベッド脇に両足を開いて立てるスペースがあれば、じゅうぶんにヨガはできる。
とはいえ、対面・オンライン・動画いずれにせよ、「先生」が私には不可欠だった。
ヨガ歴が長くなり、できるポーズが多くなっても、呼吸のテンポや注意する箇所を先生にガイドしてもらえるのが心地よくて、だから、オンラインヨガでは、可能な限りカメラをオンにして、たまに先生に声をかけてもらえるのもちょっと楽しみだった。

この春、仕事を辞めることになり、職場近くのスタジオとお気に入りのオンラインクラスのどちらも解約することを決めた。
ヨガもできない毎日が1ヶ月ほど続き、ようやく再開できたのは連休明け。
そこで、なんとなく、自分ひとりでやってみようかな、という気持ちになったのだ。

自分でポーズの構成を組み立てるのは面倒なので、順番に決まったポーズをとるアシュタンガヨガのさわり部分をやることにして、以前使っていたアシュタンガヨガのポーズ一覧と、未読だった教科書をひっぱり出し、いざスタート。

自分の頭の中でカウントしながらのヨガは、ひさしぶりのポーズによろめいてうぎゃーとなるし、寂しさとか不安とか、先生がいるヨガではありえないような気持ちがよぎる。
ヨガをしている間じゅう、ふらつくのはやはり聴神経腫瘍の後遺症なのかもと思ったり、呼吸が浅くて深まらないことに気づいたり、朝ごはんのメニューに思いをめぐらせたり、なんとも落ち着かない。

それが、数日練習していくうちに、ふらつきがおさまり、ポーズの安定と共に呼吸も深くなり、朝ごはんのことはつい考えてしまうけど、ひとりヨガを楽しみ味わえるようになった。
ヨガ後に3行メモを残して、翌日の練習はそのメモと教科書を読んでから開始するというルーティンもできた。
ヨガもひとりでできるんだ、と思えることが、いまの私のくらしの全方面に少しずつの自信を与える。

数日前、市の広報誌の片隅に「お寺ヨガ」の告知を発見して、初めて参加してみた。
山の中にある新しいお寺の納骨堂ホールの片隅で、大きな窓にあふれる緑、ほのかなお線香の香り、そしてやさしく落ち着いたガイドに包まれるヨガ。
ああ、やっぱりこういう練習もいいな。
ひとりでもできるからこそ、誰かから与えられるとより味わえる。
パン作りにもたぶん通じるんだろうな、と思う。

パンの切れ目(クープ)を入れるクープナイフを導入。奥が深い!


人生の思いもよらぬ場所にいて予報通りに風は強まり




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