今年の札幌は冬が来るのが早くて、ダウンのフードにファーを装着した最終形態で雪道をすり足しつつ歩く毎日。
それでも、私は冬が好きだし、大雪が大好きだ。
ある日の帰り道、最近の自分を振り返って考えた。
もともと私は気分の浮き沈みがあったのだけれど、ここしばらくそのアップダウンが顕著で、生活に、というよりも人生に支障をきたしていた。
自分なりにいろいろ調べ、病院やカウンセリングに行ってみたりして、それでもやっぱり浮き沈みを繰り返し、周りに迷惑をかけ、いよいよどうにかしなければ、と思っていた。
少し前、鬱からようやく這い上がったタイミングで、雪と氷に覆われた道をそろそろと歩きながら、ああでも私は冬が好きだな、と思ったときにふと、私の浮き沈みは、いわば季節の移り変わりなのかもしれない、と気がついた。
私はずっと「気分が安定している人」に憧れていたけれど、それはもしかして「常春の国」や「常夏のリゾート」に憧れる気持ちと同じなのかもしれない。
ハワイに別荘を持つ友人が、クーラーもヒーターもいらないのよ、と言っているのを聞いて驚愕したことがある。
そんな土地に一度行ってみたいなと思うし、それこそ別荘ならぜひ欲しいくらい。
でも、そこに定住したいか、と聞かれれば、否と即答する。
盛岡から札幌に北上した私にとって、冬と雪のない土地の暮らしは、ハイジにとってのフランクフルトと同じで、白パンを机の引き出しに詰めたくなるくらい落ち着かない。
相模原に住んでいた2年間は、冬も自転車に乗れるのが新鮮だったけれど、2年目にはそのメリットもどうでもよくなるほど、雪に埋もれる札幌の冬が恋しかった。
春や夏が上がってるときの私だとすると、下がって沈む私は、秋と冬なのだ。
それぞれの季節にそれぞれの厳しさと美しさがあって、早く過ぎてほしいとかずっと続いてほしいとか思ったり言ったりしても、早送りも一時停止もなく、淡々と一定の速度で季節は移り変わる。
それは誰にも止められないし、この地で(この世で)暮らす限りどうしようもないことだ。
それでも、季節の移り変わりは止められなくても、それぞれの季節に合わせて服装を変えたり、過ごし方を調整したりすることはできる。
そんなふうに私の気分の浮き沈みを考えればいいのではないか。
そして、そうか、もしやこれが「自分を受け入れる」ということか、と思ったのである。
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| ドイツのケーキミックス、焼いてみた |
泣いていた僕らをやがて思い出す雪ふりつもる新たな冬に

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