歌を聴きたくなる時と、ぜんぜん聴く気になれない時がある。
端的に言うならば、調子がいい時と悪い時ということになるのだろうけど、どちらの時にもそれぞれのよし悪しがあって、どちらかだけがいいとか悪いとかいうわけではない、ということが、齢五十にしてようやく分かってきた。
imaseくんの歌すら聴かずに過ごした2ヶ月あまりを経て、ようやく音楽が聴きたくなった。
歌なし期間にAmazon Music Unlimitedも解約してしまったので、YouTubeでimaseくんのMVプレイリストを聴くことにする。
そしたら、1曲めがユーミンとのデュエット(!)で、びっくりした。
そしたら、1曲めがユーミンとのデュエット(!)で、びっくりした。
鬱々としていた高校生のある時期、たしか「リフレインが叫んでる」あたりがきっかけで、ユーミンばかり聴いていたことがあった。
そして、「守ってあげたい」と「やさしさに包まれたなら」が私の心の歌になった。
だから、そうか、もしかして今この時のために、私はあの頃ユーミンを聴いていたのかな、と思ってしまった。
ところで、音楽が聴けなかった間はヨガも休んだのだけれど、その前しばらくは、お祈り+ヨガのヨガ道に励んでいた。
『教会の祈り』には、聖書から引用された祈りの言葉にかなりの頻度で「歌」が登場して、「新しい歌を神に歌おう」的なフレーズが、なんかいいなと思っていた。
(こちらのサイトによると、「新しい歌を主に歌え」は聖書に9回登場するらしい。)
『教会の祈り』には、聖書から引用された祈りの言葉にかなりの頻度で「歌」が登場して、「新しい歌を神に歌おう」的なフレーズが、なんかいいなと思っていた。
(こちらのサイトによると、「新しい歌を主に歌え」は聖書に9回登場するらしい。)
何年前だったろう、鳥の歌を研究しつつ人間の言語の起源に迫る研究者、岡ノ谷一夫さんの文章を楽しく読んだことを思い出す。
人間は話すよりも前に歌った、言語は話し出されたのではなく、歌い出されたのだ、みたいな言葉に、そうか、そうなのか、と、けっこう洗脳?扇動?されてしまった。
こちらは24年前の記事だけど、いま読んでも、やっぱり面白い。
・・・というわけで、imaseくんである。
たくさんの「新しい歌」を聴きながら、そういえばimaseくん、もうすぐ札幌でコンサートだよな、と、ふと気づいた。
チケットはたぶんもう売り切れてるだろうけど、と思いつつチェックすると、な、な、なんと、まだチケットが買えるではないか。
しかもコンサートは、私の誕生日の前日・19時開始なのだ。
ユダヤ・キリスト教的には夕方から一日が始まるのだから、これはもう私の誕生日をお祝いするために、imaseくんが札幌に来て歌ってくれるんだ、と思うしかない。
数日前、「誕生日のプレゼント何がいい?」と夫に聞かれて「別にいらないよー」と答えたけど、こうなったらプレゼント権の放棄を撤回し、堂々と権利行使すべしと決意、最大限の甘い声でおねだりする。
いちおう「一緒に行く?」と確認して、「いや、一瞬考えたけど、僕はいいや」「うん、そうだよね、私もひとりのほうがいいし」というやりとりを挟んで、ぶじにチケットを確保。
はー、どうしよう、と、いろんな意味でいまからドキドキしている。
とにかく予習、と思って、imaseくんとユーミンの「プレミアム対談」も観てみた。
いや、これはもはや何と言うか、神々の対談、だ。
尊い、ってこういうときに使うんだ、とわかった。
いや、これはもはや何と言うか、神々の対談、だ。
尊い、ってこういうときに使うんだ、とわかった。
同時性ネットラジオが担保して時差九時間で聴くラブソング
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